2011年11月24日

11年ぶりの手紙

IMG_7077.jpg 書留が届いた。封筒に漢字ばかり書いてあったから、てっきり台湾の友人の誰かが送ってきたに違いないと思った。

 郵便局の人が帰ってから封筒を見たら、差出人住所の一番下に「中華人民共和国」と書いてある。えっ、中国? 何かの間違いじゃないかと思ったのだが、確かに受取人は私になっている。

 差出人の住所は西安市。西安市を訪ねたこともあるけれど、誰かと住所を交換するほど親しくなった記憶はない。新手の国際詐欺かな?なんて警戒した次の瞬間、差出人の名前に見覚えがあるのに気付いた。

 11年前に中国の新疆ウイグル自治区からパキスタンに抜けるカラコルム・ハイウェイの旅をした。ウルムチから喀什(カシュガル)までの列車で同じ車両に乗り合わせた中で英語を話す唯一の乗客だった。もう一人の男性と2人で乗っていた。

 大学教授か何かとにかく教鞭をとっていると聞いたが所属は人民解放軍。この人たちと会うまでは列車内のトイレを撮影しようとして車掌に「撮影禁止。パスポートを見せろ」などと意地悪されていたのだが、この人が「一緒に記念写真を撮ろう」と言い出して車掌に何か言ってくれたおかげで車掌の態度は一変。急に愛想が良くなり、何を撮影しても文句を言われなくなった。英語よりも筆談の方が意思疎通が簡単だったとはいえ、話し相手ができたことで30時間の長旅がラクになった。

 目的地の喀什に着くと人民解放軍の車が迎えに来ていた。私はちゃっかり乗せてもらって自分の泊まる安宿まで送ってもらったのだった(軍の運転手はそんな安宿なんて知らず道に迷った…)。職権乱用ってやつだと思うけれど、午後8時半をすぎていて市バスを探したりタクシーの料金交渉をするのは大変だったので感謝している(自分の旅は今も昔も変わらず、偶然出会った人の厚意に依存しているってことを実感して苦笑するばかり)。

 帰ってきてから写真とお礼の手紙を送ると返事が来て2往復くらいしたんだったかな。とにかく長いこと疎遠になっていて、2004年に西安へ旅したときだって連絡することなんて思いつかなかった。

 今回の手紙に何が書いてあったかっていうと、最初のHow are you? と最後のBest Wishes! 以外は全部中国語だった…。これじゃ読めるわけないじゃん、とガッカリしたのだが、不思議なことに手紙を見ていたら何となく意味がわかってきた。内容はこんな感じ。
こんにちは。お元気ですか? 11年前に新疆の列車の中で会い、写真を送ってもらったものです。あの時以来、一回お手紙を書いたと思いますが、今回またお送りします。当時、あなたは一人で旅をしていましたが11年たった今は妻となり母親となったことでしょう(旅行当時、夫は日本にいると伝えたにもかかわらず、一人旅だったので既婚だと信じてもらえなかった…)。お目にかかれればお祝いをして差し上げたいです。中国、なかでも西安の変化には凄まじい物があります。もし、西安にいらっしゃることがあれば、ご案内いたします。ぜひ連絡してください(メールアドレスと携帯電話番号が記載されていた)。英文なら読めますが日本語は勘弁して下さい。もちろん中国語大歓迎です。それでは。
 かなり想像力を屈指している部分もあるのだけれども、大きく外れていることはないと思う。すごいな漢字文化の力。

 それにしても、11年たっても覚えていてもらえるなんて私は幸せな旅人だ。
    
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2011年11月22日

重いお土産

 私に会うためわざわざ台北まで出てきたくれた春子ばあちゃんに再会するなり、「今回は重いお土産があるよ」って言われた。最初は悪い冗談かと思った。だって私は出発前に日本から電話した際、お土産はいらないし、あちこち回るから持ち運べないということを強調して伝えていたから(春子ばあちゃんのことを知らない人は2010年3月10日付の「2人の陳さん」を参照)。

 でも、婆ちゃんはすごく真面目だった。被災地の子供たちのことを考えてお土産を用意し、私が運ぶ負担を少しでも軽減しようと自ら台北に持ってきたのだった。そういう意味では物理的な重さよりも真心の重さがずっしりと来た。

 話は数カ月前に遡る。津波被災地の子供たちが書いた作文集「つなみ」を読んで、子供たちが世界の人たちの支援に感謝の気持ちを強く持っているのに感動し、婆ちゃんも読めば喜んでくれるだろうと軽い気持ちで送ったのがきっかけだった。

 婆ちゃんは作文に綴られた子供たちの懸命な姿に感動、何かしないではいられない気分になって子供たちへのプレゼントを用意したのだった。支援金3万元(日本円で2万7000円弱)に加え、自分で編んだという袋に入った100枚近い古銭を手渡された。

 婆ちゃんの気持ちを何とかして届けようと、帰ってきてから作文集の出版元に手紙を書いた。ひょっとしたらこれまでも同じような人がいて、出版社に連絡しているかもしれない。「そういう方はこちらへどうぞ」みたいなルートができていれば、私にも同じように紹介してくれるだろう。忙しくて返事は来ないかも知れないけれどダメ元って気だった。

 そうしたら、今日、担当の方から電話がかかってきた。ひとしきりお礼を言われた後で、このようなお見舞いの申し出は初めてのことだと言われた。上司の方とも相談した結果、津波遺児の支援をしている団体を紹介してはどうだろうということになったそうだ(具体的な団体名を教えていただいたけれど、とりあえずここには書かないことにする)。

 そういう団体なら現金(もちろん私が日本円に両替する)は歓迎してもらえるだろうけれど、「子供たちに直接渡して欲しい」なんていって古銭を持参しても困るだろう。私は骨董品などの関心がないので、この古銭にどれだけの価値があるのか分からない。

 私が子供だったら、海外の古銭をもらったら素直に嬉しいし、それをきっかけにしてその国に興味を持つかも知れない。そんなこともあって、古銭は換金しないでそのまま渡したいとは思うのだけれどど、果たしてどうすればいいものやら。もし、これを読んでいて、何かアイデアや提案があるという方は、コメントないしメール(メールアドレスは右側の下の方にあります)で教えていただければ嬉しいです。
       
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2011年11月15日

「感謝台湾」の旅のはずが…

 台湾旅行から戻ってきた。今回は「感謝台湾」の旅として、いつもの旅よりも散財しようと思って出かけた。もともと貧乏性の私のことだから散財といっても最初からたかが知れているのだが、予想以上に苦戦した。

 平均すると毎日一食は誰かにご馳走してもらっていた。直前に書いたように全く知らない人からご馳走してもらったこともあれば、これまでの台湾旅行で知り合った人たちがご馳走してくれたり、家に招待して家庭料理でもてなしてくれたこともあった。

 なんせ台湾では「ご飯食べた?」が基本の挨拶。友人・知人の食事の心配ばかりしているんじゃないかって思うほどで、「はい、もう済ませました」って返事しているにもかかわらず、「一緒に食べようと思ってお弁当を持ってきた」とか「◯◯に一緒に行ってご飯食べようと思ってやってきた」と言われて、促されるまま2回立て続けに食事をしたこともあった。

 せめて泊まるところは昨年よりもグレードアップしようと思っていたら、ある町で「前にここで泊まったって言っていたよね」と、わざわざ昨年の宿まで知人が送ってくれた。おまけに中から出てきた宿の主人が「あんた去年も来て後で日本から写真を送ってくれた人だね。ありがとうね。今回は安くしてあげるよ」と、値引き交渉をしたわけでもないのに割引料金になった。「あの〜、私はお宅の通常料金よりも高いところに泊まろうと思っていたんですけれど…」なんて、もちろん言えない。

 おみやげも持ち切れないほどいただいた。自分で買う必要がなかった。というよりも、とても持ち運べないので買えなかった。あと、私の着ていたTシャツ(Thank you Taiwanのメッセージ入り)がよかったのか、本来なら有料の物・サービスがあちこちで笑顔とともに無料になった。

 というわけで、いつも以上に台湾の人々の厚意に依存した旅になってしまった。緊縮財政を心がけていたわけじゃなく、むしろ積極的にお金を使おうと思っていたのに。

 予想外の出費といえば、温泉愛好家の方に案内をお願いして山中の源泉地めぐりをした際、土砂降りの雨にあってジーンズがベチョベチョになってしまい、台北のユニクロでパンツを買った程度。これじゃ全然「感謝台湾」の旅にならなかったな。
      
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2011年11月11日

災い転じて福と成す

一年ぶり今年初めての台湾で絶体絶命のトラブルに巻き込まれたものの、気がつけば無事に切り抜けられていた。しかも、すごくおいしい思いをして。私を乗せたタクシーの運転手さんにとっては、悪夢のような出来事だったに違いない。

9日のことだ。ある町でタクシーの運ちゃんに料金交渉して2時間弱かかる温泉(野湯)に出掛けた。現地に到着後「車は侵入禁止」の注意を見落とし、細い急勾配の下り坂にタクシーで侵入してしまったのが失敗の始まりだった。

IMG_6647.jpgこんな道に入って大丈夫なのかなぁと思わないでもなかったんだけど、こっちはペーパードライバー、向こうは職業ドライバーなのだから余計な心配なんだろうな〜と思った。いよいよ道が狭くなり、運ちゃんに促されて車を降り徒歩で温泉に往復した。あとから男性2人組がやってきて、外国人が1人でやってきたことにビックリしていた。

温泉を堪能してタクシーに戻ると運ちゃんがいない。声を出して呼んでも反応がない。この時点ではまだ深刻なトラブルに気づいていなかった私は、『車を動かすと私が心配するから、ここに車を置いたまま上の集落にお茶でも飲みにいったのかな』なんて悠長なことを考えていた。

それにしても遅い。なんとなく不安になり、坂の上の方まで探しにいくことにした。坂を上りきらずに途中でしばらく待っていると、上から軽トラがやってきた。助手席にはタクシーの運ちゃんが乗っている。

タクシーが立ち往生してしまい、運ちゃんがどこかから牽引車を呼んできたのだと理解するまで、ちょっと時間がかかった。事態を飲み込むと絶望的な気分になった。

だって降りてくるときだって、あんなに何回も切り返したのに、牽引してもらってカーブが曲がれるわけない…。私の予想通り、タクシーは数メートル進んだだけでカーブは曲がれなかった。

しばらくして、2人は再び軽トラに乗って「ちょっと待ってな」と言ったままどこかに行ってしまった。坂を歩いて上り、雨の中をじっと待つ。坂を上ったところにある集落は家が数軒あるだけ。車なんて一台も来ない。

30分、1時間、1時間半と待っているうちに顔がひきつってきた。雨は強くなるし、あたりは薄暗くなってくるし。今日は傾いたタクシーに戻って、そのなかで寝るしかないのだろうか。集落にある売店で水と乾き物程度は買えるとしても、夜のトイレはそのへんで…などと考えると、どこまでも暗くなっていった。

そこへ温泉で会った二人組が戻ってきた。「タクシーが立ち往生しているのを見たよ。とんでもないことになったね。僕たちの車に乗せてあげるよ」。中国語はできないのに、なぜかこのときだけは完璧に理解できた。

まさに渡りに船。喜んで乗せてもらう。タクシー料金を払っていないのが気になったけれど、途中ですれ違う車がいたら例の軽トラに違いないということで出発。実際、一台目の対向車が運ちゃんの乗っている軽トラで(それほど車が通らないのだ)、料金を踏み倒さずにすんだ(会えなかったらタクシーを見つけた町の警察署に行って事情を説明してお金を預けようと思っていた)。

私を拾ってくれた2人は、会社員でバツイチのリョウさんと失業中のアゴッ。高校の同級生だそうで、たまたまリョウさんが平日に休めたので2人で温泉に来たのだった。この温泉を訪れるのは年に1、2回。平日に行くと普通はほかに誰もいないそう。彼らに会えた私はすごくラッキーだった。

2人が「体が冷えたからスープを飲んで行こう」というので、屋台にでも寄るのかと思って同意したら、すごくオシャレなレストランに入っていった。オーガニック食材を使っているレストランで、客の服装もこざっぱりしている。どうみても野湯帰りの私たちには不釣り合いだ。

すごく混んでいて1時間待ちと言われたので諦めたけれど、私に気を使っておしゃれな店を選んでくれたに違いなく恐縮した。次に入ったのは海鮮料理の店で、ここも結構高そう。刺身から始まって鶏、海老、青菜炒め、魚、蛤のスープ、イカなど、次から次へと料理が出てきた。

車に乗せてもらったお礼に私が食事代を出すつもりだったけれど、こりゃ高そうだな〜と青ざめる思いだった。ところが、トイレに席をたったわけでもないのに、私が財布を取り出す前にいつのまにか勘定が終わっていた。

食事が終わりバス乗り場へ。車に乗ったままちょっと待っててと言われ、気がついた時にはバスの切符まで買ってくれていた…。

彼らは「台湾人だって一人であんな温泉に行かないのに、日本人の女の人が一人できて、しかも台北から日帰りするなんてスゴいと感心したから」と言う。「スゴい」だけ日本語だった。

私は友人の情報を基にしてマネしただけなのに。あまりにも嬉しくてありがたくて涙ぐんでいたら、「台湾には悪い人もたくさんいるから、知らない人を信用しちゃだめだよ」と言われ、「あなたたちがよく言うよ」って泣き笑いになってしまった。

この2人に拾ってもらえなかったらどんなことになっていたか、想像するだけで恐ろしい。天国と地獄は紙一重だ。

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2011年10月14日

世界一周中の夫婦がマラリアで死亡

 世界一周旅行中の夫婦がアフリカでマラリアに感染したのに気づかず、南米ボリビアのラパスで相次いで亡くなったそうだ。

 自分もインドに住んでいた時、それほど重症ではなかったとはいえマラリアにかかった経験がある。いまだにバックパッカーだし熱帯地方に行くことも多い。アフリカも南米も大好きだ。なんだか他人事だと思えない。ショックだ。

 夫妻の旅行の様子はブログ「タビロック」とそのfacebookページ版でうかがい知ることができる。ともにコメント欄に追悼のコメントが書き込まれている。

 facebook利用者なら、奥様のウォール旦那様のウォールを閲覧することもできる。最後の書き込みからまだ10日も経っていない。10月8日付のボリビアの新聞(スペイン語)は奥様の死亡を伝えている。

 40度前後の高熱が何日も続いていて、コメント欄でマラリアの可能性を指摘している人もいたのに…。どうも奥様は医者にいかないまま、宿泊しているホステルのトイレで亡くなった様子。旦那様はその後ICUに収容されたものの、容態が回復すること亡くなったらしい。

 関連リンクをたどると、長期旅行だったからか旅行保険も切れていて一切カバーされないらしい。医療費の心配をして医者にかからなかったのだろうか? 遺族の方は家族を亡くしたショックだけでも相当なものだろうに、金銭的にも大きな負担を強いられることになる。

 これからは今までのように軽い気持ちで旅にでかけられなくなりそうだ。2人のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の方々にお悔やみを申し上げます。
    
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2011年08月07日

東大寺の大湯屋

久しぶりに奈良を観光中。下の写真は東大寺の大湯屋。奈良時代に建てられたものを何回か建て直して現存するのは昭和12年に解体修理したもの。内部が見学できないのは残念。

前回東大寺に来たのは中学の修学旅行の時で、当然ながら湯屋なんて見なかったし、関心もなかった。

androidアプリを使ってSeesaaブログに投稿するよりもfacebookに投稿する方がずっと簡単だ…。というのも、Seesaaのアンドロイドアプリは広告がしつこく出てくる。「投稿する」ボタンの上に広告が被さっていたりして、使い勝手が良くないのだ。

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写真を差し替えました(8月13日)。
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2011年06月28日

東北復興モニターツアー

 日本観光振興協会が「東北復興モニターツアー」を企画した。原則として都内から東北各地に1泊2日ででかけてメインの交通費と宿泊代込みで1人分1万円。シティホテルを除けば2食付。出発日は7月18日から9月30日で、当然ながら繁忙期は対象外。旅行が終わってから感想などの提出を求められる。

 1万円で交通費宿泊混みならけっこうお得な内容だと思う。ツアーの内容は以下の通り。いずれもツアー名の末尾につく「フリー2日間」を省略して記載。カッコ内は宿泊先。
 1)青森・浅虫温泉フリー2日間(海扇閣)
 2)JALで行く青森市内(青森GHかホテルJALシティ青森)
 3)岩手・八幡平(八幡平ロイヤルH)
 4)岩手・盛岡市内(Hメトロポリタン盛岡)
 5)宮城・松島(H大観荘)
 6)宮城遠刈田温泉(遠刈田さんさ亭 東館)
 7)秋田・田沢湖高原温泉(駒ケ岳観光H)
 8)ANAで行く秋田市内(イーH秋田、ドーミーイン秋田など)
 9)山形・赤湯温泉(いきかえりの宿 瀧波)
10)山形・蔵王温泉(タカミヤビレッジH樹林、おおみや旅館)
11)福島・高湯温泉(旅館玉子湯)
12)福島・磐梯熱海温泉(H華の湯 華風館)
 募集は各コース5組10名で、応募者多数の場合は抽選。ただ、新幹線を降りてから宿泊先まで自力で移動しなくてはならないコースばかりみたいだ。応募する前に自己負担分や出発日の設定を要確認。
    
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2011年06月19日

夏に備えて…

IMG_5026.jpg 夏の18きっぷを利用した家族旅行で奈良に行くことにした。なぜか数年前から法隆寺に行きたくてしょうがない。中学校の修学旅行以来だ。昨年は遷都1300年祭で混んでいるだろうと思い、1年遅れて今年にした。

 今から予習しておこうと図書館でガイドブックを3冊借りてきた。借りると安心してしまって、あまり読む気にならない。パラパラ見ている程度。せっかく奈良まで行くならいい気分(温泉)にも行きたい。でも、不便なところが多いんだよな〜。

 何の気なしに十津川村の公式サイトを見ていたら、来年3月末にかけて「ココロとカラダを癒す旅〜日本一長い路線バスでゆく〜」と称するキャンペーンをやっていることを発見した。これを利用して1週間以上前に指定宿を予約すれば、奈良交通のバス料金が3割引になる。1人泊もできるので、これを利用するつもり。
   
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2011年06月15日

浅草の現状写真レポ

 所要で浅草周辺を徘徊してきた。予想していたよりも旅行者は多かったものの、記憶にある以前の浅草に比べるとやはりすいていた。

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雷門。門の前で記念撮影している人は明らかに少なかった。人力車のお兄さんから客引きされたのは初めてだ。

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仲見世。予想よりも人は多く、賑わっている店が多かったので一安心。修学旅行生が目立つ。実際はこの写真よりも混雑しているように感じた。外国人観光客はずいぶん減り、中国人の団体客を一切見かけなかった。

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浅草寺。西洋人の団体客が目を引いた。個人客もチラホラ。タイからの男性二人組は「日本を応援しに来た」とニッコリ(写真は恥ずかしいからと断られちゃった)。日本がこんな時に来てくれてありがたい。

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久しぶりに浅草に来たので、眺めが随分変わっていた。我が家からだと数センチの大きさに見える東京スカイツリーが浅草ではど〜んと大きくそびえ立って見えた。道の左側中程に雷門がある。

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吾妻橋のたもと、水上バス乗り場付近からの眺めも変わった。周辺で同じように写真を撮っている人がたくさんいた。
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2011年06月14日

「この夏日本を訪ねる10の理由」

 海外の旅行ニュースサイト「eTurboNews」に6月6日付で「10 reasons to visit Japan this summer」という記事があった。内容から判断して英国向けの記事みたいだ。内容は以下の通り。
 1.宿泊料の割引
 2.ボランティア活動で日本を支援する
 3.芸者ビアガーデン
 4.ハイキング
 5.新幹線が青森から鹿児島までつながった
 6.BAが羽田に乗り入れた
 7.沖縄や伊豆のビーチ
 8.人々がリラックスしている
 9.祭り
10.富士山に登る
 海外からの観光客がめっきり減っている中、「日本へ行こう!」と呼びかけてくれる記事はとってもありがたい。

 とはいえ、日本人からみると10の理由は不思議な内容になっている。だいたい「芸者ビアガーデン」て何? 本文を読んで京都の一部のビアガーデンには7月から9月上旬に芸者さんがいるのだと初めて知った(写真もある)。

 富士山に登るのはいいとして、一般的なハイキングは夏場は暑すぎるのでは? 特にイギリスからやってきて真夏の日本でハイキングなんてしたら熱中症にならないだろうか? ちょっと心配だ。

 8番目の「人々がリラックスしている」というのは、「夏場は休暇シーズンで勤務時間が短くなり、ビアガーデンに繰り出して暑さを楽しむ」ということで、どうも筆者は日本のビアガーデンに入れ込んでいるらしい。あと、 この夏は“スーパークールビズ”が導入されてドレスコードが緩和されていることにも触れている。

 日本の夏がどれほど酷暑かなどマイナス面について一切書かれていないのだけど、これでいいのだろうか。それにここまで書いてちょっと気になっているのは、一番上に「Japan National Tourism Organization」と日本政府観光局(JNTO)の名称が記載されていること。ほかの記事を見ると特にこの部分がクレジットという訳じゃなさそうだけど、なんだか紛らわしい。
      
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2011年06月02日

旅心をくすぐる動画



 これ見たら、またどこかへ旅をしたくなった。最初はクレジットカードのCMかと思った。ちょっと前にこんな踊りをしているCMなかったっけ? ひょっとしてあのCMはこの動画にインスパイアされたんだろうか? 

 この動画で踊っているマットのホームページはhttp://www.wherethehellismatt.com/。このサイトに載っている古い動画をみると、2005年あたりは1人で踊っていたのが段々と有名になってきた様子。上に貼った動画はグループで踊っている場面も多い。そして今は「君のいるところで踊る時にお知らせが欲しかったら登録してね」なんて書いてある。今現在はシアトルで踊っているみたいだ。
     
posted by らくだ at 23:32 | Comment(2) | TrackBack(0) | 旅日記ほか旅関連 | 更新情報をチェックする

2011年05月11日

悲喜こもごも

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宿で1時間250円ほどの有料Wi-Fiを利用中。きのうはどうなることかと思った。日本から予約していた国内線が2時間あまりディレイの末、オーバーブッキングで私と西洋人4人が弾き出された。

遠回りのあげくに2時間タクシーを飛ばしてようやく目的地に到着(もちろん、タクシーは航空会社持ち)。

おまけに朝方のバスで温泉に行くはずが、バスに乗り遅れた。宿の人から7時45分に出ると聞いたバスは7時発だったのだ。次のバスは午後1時で、今日中に帰って来るのは不可能だという。ここまでは最悪。

腹が減っては戦はできぬと朝御飯を食べに入った食堂で、たまたま一緒になった在住南アフリカ人にその話をしたところ、タクシー運転手の友人がいるからとすぐに電話してくれ、格安料金で連れていってくれることになった。

片道1時間半あまり、そのうち1時間以上は未舗装のガタボコ道だった…。しかも、この運転手さん、温泉の存在は知らなかったのに、行ってみたら温泉の地主はなんと彼の友人だった。

この地主さんもいい人で、片道30分ほどのぬかるみ道を案内してくれて、お金は受け取れないとキッパリ断られた。ほとんど獣道で途中で浅い川を歩いて4回ほど渡った。バスを利用して一人で来ていたら、絶対にたどりつけなかっただろう。

1日目の苦労を補っても十分にお釣りが出る嬉しい体験だった。
posted by らくだ at 17:54 | Comment(3) | TrackBack(0) | 旅日記ほか旅関連 | 更新情報をチェックする

2011年02月11日

沖縄美ら海水族館



 雪が降り続くこんな日は南が恋しくなる。そこで先日訪ねてきた沖縄美ら海水族館の動画をユーチューブにアップしてみた。館内のカフェテリアの窓越しに撮影した。使ったのはデジカメではなくスマホIS01。スマホといっても超小型ネットブックみたいな形なので、パカっと開いて窓に向ける姿は多分すごくマヌケに見えたと思う。

 美ら海水族館は評判通りに素晴らしい水族館だった。特にこの「黒潮の海」を最初に正面から見たときのインパクトは大きい。こんなに大きな水槽を見たのは初めてだった。しかし、カフェテリアでお茶を飲みながら水槽の中を見ていると、最初は巨大に見えた水槽が大混雑しているように見えてきて、『この魚たちは死ぬまでこの狭い水槽の中を泳ぎ続けなくちゃいけないんだな』となんだか可哀想になってしまった。

IMG_2763.jpg 左の写真はゴミを食べた死んだマダライルカの胃。グロく感じる人がいるかもしれないので控えめなサイズで載せておく。ウミガメ館にもアオウミガメの排便とともに出てきたゴミが展示されていた。こういう物は啓蒙としてもう少し目立つところに展示してもいいと思うけれど、楽しさを優先したいというのも理解できる。たとえ目立たない場所でもこういう展示があることが大切。

 このゴミを見て、魚の世界に「人間たちの海への理解を深めるため」1年間限定で水族館に自発的に入るご奉公制度みたいなのがあればいいな〜なんてことをぼんやりと考えた。順番に水族館に来て海に帰っていけば、余生をずっと水族館ですごさなくてもすむから。なんでこんな小学生レベルの発想が出てきたんだろう。
      
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2011年01月08日

“南海岸”はどこ?

 今になって一週間以上も前の失敗にふと気づいた。失敗というほどのことじゃないかもしれない。大阪遠征中に中国人のカップルに声をかけられ「ココに行きたいです」とメモを見せられた。メモに簡体字が書いてあることからして、台湾や香港の人じゃないらしい。行きたいという地名はこう書いてあった。
南海岸
和田
 う〜む、そんなところ聞いたこともない。南海岸というからには和田じゃなくて和歌山では? 頭の中は温泉中心に回っているので「和田という海岸は聞いたことがないですね〜。和歌山県なら海岸はたくさんあるから和歌山県のことでは? 白浜は温泉でも有名ですよ」なんて説明したもののイマイチ自信がない。「自分はこの辺りの人間じゃないから、ほかの人に聞いたらすぐに分かるかも」と逃げておいた。

 今日になってひらめいたのは、あれは単に改行の位置が悪かっただけで「南海岸・和田」ではなくて「南海・岸和田」なのではないだろうかってことだ。どひゃ〜。あの時は頭の中が「南海岸」で固定されてしまい、紀伊半島の地図しか頭の中に浮かばなかった。

 あの人たち無事に目的地に行けただろうか。岸和田だったとしたら『なんだ、日本人には漢字を読めない人がいるんだ…』と笑われているかも。勘が鈍すぎて恥ずかしい。
   
タグ:大阪
posted by らくだ at 11:44 | Comment(3) | TrackBack(0) | 旅日記ほか旅関連 | 更新情報をチェックする

2010年12月18日

メキシコで気づいたこと

 久しぶりのメキシコ。昔と変わっていないことを発見して苦笑したり、昔とは違うことを発見したりの旅だった。

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 まず、変わっていないのはメキシ人がせっかちだってこと。地下鉄は乗客が降りるのを待たずに乗り、座席が空いていたら一目散に座る。しかし、降りる時も早い。前の駅を発車するともう席を立ち、「すみません」とか「あんた次降りるの?」と言いながら、ドアの方に近づいてくる。『そうそう、前に来た時もこうだった』と思い出して苦笑い。写真はメキシコシティの地下鉄・北バスターミナル駅。

 女性がほとんどスカートをはいていない。私の印象ではスカートを履いている人は3%もいないんじゃないだろうか? 昔からこうだったかな? ちょっと覚えていない。英語を話す人にスカートをはかない理由を聞いてみたのだが「考えたこともない」と言われた。今回新発見だったのは、地下鉄の中で念入りにお化粧している女性を何人か見たこと。日本以外の国で複数の女性の化粧姿を見たのは初めてだ。アイメイクと香水は濃いめの人が多い。スーツ姿の男性が少ないのは昔と変わらない。

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 変わったのは、人が増えたこと。写真は土曜日午後のメキシコシティ中心部で地下鉄に乗ろうと改札に行列する人たち。当然ホームも混んでいて、東京のラッシュ時と何ら変わらない。乗りきれない人が出て一本見送ったのに、次の電車が来るまでにホームは人でいっぱいになる。車体が細身なのも問題だ。ソウルの地下鉄くらい幅広の車両を使ってくれればいいのに。

 あと、警官がものすごく増えて外国人観光客が減った。街角や地下鉄の構内、どこに行っても警官がいる。治安が悪いとは聞いていたが、そこまでなのか…とも思った。逆にこれだけ警官がいれば首絞め強盗には合わないかな〜なんて油断もした。幸い、犯罪の類には一切無縁で帰って来られた。地下鉄駅の乗り換え通路はただでさえ薄暗いのに、さらに暗くしてプラネタリウム状態になった一角などある。治安が悪いんだったら、もう少し明るくしてよ!

 外国人観光客はカンクンやバハカリフォルニアには多いのかもしれないが、メキシコシティ、グアダラハラといった大都市ではあまり見かけなかった。世界遺産のテオティワカンでさえ、メキシコ人の姿は目立つものの、外国人観光客は予想したほどいなかった。前回行った際は日本人のツアーに何団体も会ったが、今回は5人程度のグループを1つ見かけただけ。ちょっと寂しかった。

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 かつては世界最悪の大気汚染と言われたメキシコシティの空気がキレイになった。ラテンアメリカタワーに登ったら、空が青くて遠くに山まで見えるので改善を実感した。乾季だったせいもあるのかな。しかし、朝晩の冷え込みは5度前後と東京と変わらない。日中は25度近くまで気温が上がり、紫外線も強い。日焼けしてしまった。

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 タコス程ではないにせよ、日本のカップヌードル「マルちゃん」がかなり人気の様子。今回初めて知った。上の写真はセブンイレブンで撮影。青いのがチーズ風味、ピンクのはエビチリ風味。お湯を注ぐんじゃなくて、水を入れてチンして作る様子。私は食べずに終わったけれど、マルちゃんを出す屋台もあるそう。

 メキシコシティ周辺の道路には驚いた。片側4、5車線分の広さがあるにもかかわらず車線がない。だからみんな思い思いに走っている。危なっかしい。車線が復活する部分も、それまでと同じ調子で走っているから車線なんて関係ない。もちろん町中や高速道路は大丈夫だけど、マトモな部分に辿りつくまでに事故りそうで自分には絶対に運転できないと確信した。

 メキシコは全体的にはそんなに変わっていない気もした。私が中南米に入れ込んでいたその昔、メキシコといったらアメリカに隣接している地の利を活かして中南米の成長の旗頭っていう感じだった。他の国の人に話を聞くと、「メキシコは北アメリカだから僕らとは違うんだよね」なんて言う人もいた。しかし、今になってみると、ブラジルなどが台頭してきたのをよそにメキシコはほぼ横ばいを続けているようにも感じた。アジアの新興国に比べると、一段と「そのまま感」が強く、懐かしさと同時に悲哀を感じた。翻って10年ぶり20年ぶりに日本を訪れる外国人は、どんなことを感じるのだろうと思った。
       
タグ:メキシコ
posted by らくだ at 11:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅日記ほか旅関連 | 更新情報をチェックする