前の本も本屋での立ち読みで済ませたぐらいだから、これは読まなくてもいいかと思ったのだが、何気なく開いたページでふと気になる表現があった。林真理子との対談の項で、林真理子が酒井順子に向かって「(前略)…ものを書く人だから、当然意地悪な視点はお持ちなんだけど…(後略)」と言っていた。この一行が気になって本を借りてしまった。
林真理子は「もの書きなら意地悪な見方をするのは当然」と思っているわけだ。そして「物書きのあたしは意地悪な物の見方をするけど、あんたも物書きだから同じよね」と言っている。確かにちょっと意地悪だなぁ。他の職業の人がそんなことを言ったらイヤミ以外の何物でもない。
考えてみれば、酒井順子だって「あたしは負け犬だけど、世の中の多くの女性だって負け犬なのよ」と前の本を書いた。二人とも自虐的な意地悪さがあるかもしれない。
そんな風に考えたことはこれまでなかった。でも、いわれてみると、その通りかもね。文は人なり。素直ないい人が書く文章って、全部読まなくても結末が分かるっていうか、捻りがないっていうか…。要するに毒にもクスリにもならないって感じなのだ。私がほとんど毎日のように訪問しているサイトも、林真理子のいう「意地悪な見方」がそこはかとなく感じられるところばかりだな。
この意地悪さ加減がプロとアマの分かれ目なんじゃないだろうか。「いい人」を前面に出して無味乾燥なものを書いてもつまらない。かといって、毒を吐きすぎてトゲだらけのハリネズミになったら誰にも相手にされないか、逆に反撃されるかのどちらかだ(ブログの場合炎上しちゃう)。
トゲで刺しているのか、鍼(はり)治療で癒されているのか分からないぐらいがちょうどいい。意地悪一辺倒にしないであくまでチラッと見せるのがプロ(あ、でも、プロの記者とか元雑誌編集長のブログが炎上したりしているか…)。
林真理子って興味がなくて彼女の本は一冊も立ち読みすらしていないのだが、この一言はすごく印象に残った。
一方向のメディアでのプロであって、ブログが双方向であることに慣れていないんでしょうなぁ