不思議なのはマスコミがこぞって三浦氏を「元社長」という肩書きで呼んでいること。さすがに日本で無罪になった(&有罪分の刑期を終えた)人のことを「容疑者」と呼べないとはいえ、元社長といわれてもどんな会社の社長をいつまでしていたかなんていうのは多分大半の人が知らないことだし、どうでもいいこと。「三浦和義氏」にすればいいのに、なんで「元社長」なんて肩書きが必要なんだろう。
もっと気になっていることがある。三浦氏は一美さん殺害の件については「無罪」が確定している。彼につきまとうある種の「胡散臭さ」は置いておくとして、日本政府はせめて表向きだけでも「彼はわが国の最高裁で無罪になった人物なので、逮捕は不当。日本に返しなさい」みたいなことを言わなくてもいいのだろうか?
関連報道を丹念にフォローするつもりもないから、たまたま私が知らないだけかもしれない。でも、町村さんが「(アメリカから捜査協力を依頼されたら)できないわけではない」みたいなことを言っていたのだけは聞いた。
なんとなく「有罪にしたかったのに無罪になってしまったから、アメリカで思う存分やってください」って雰囲気だ。私のような無関係な野次馬が無責任にそう言ったり書いたりするのなら分かるのだが、政府がわが国の司法を尊重しなくていいのだろうか?
日本は、属人主義(日本人を裁く)。という意味ではこの齟齬は事件が
米国内で起こった時点で始まってるんですよね…
その上、日本では他国で裁かれた者は立件しませんが、
アメリカはお構いなしですし。
最初からアメリカで裁判しておけば何の問題もなかった
というのもおかしな話ですよね。
シャレたハンドルですね〜。「さん」を付け加えて思わずニヤリとしてしまいました。
そうそう、その属地主義と属人主義の話、テレビでは何回も説明を聞きました。「だからアメリカで逮捕されるんですね〜」と納得しているけれど、どうも私は納得できないんです。決して三浦氏を支持しているわけじゃないんですけど。
なんだか「冤罪」という言葉の重みが今までよりも3割減になったような感じです。
マスコミは当時あんなに大騒ぎしていたのだから、アメリカで88年に出た逮捕状は日本での判決に関わらず有効で、アメリカに行ったら逮捕される可能性があるって伝えていれば、こんなことにならなかったのに。当時は誰もそんなことを考えもしなかったんでしょうね。
「逮捕の手がかりは元社長のブログ」なんていう報道に触れると「……」という心境です。