2004年09月02日

旧ソ連への亡命に失敗していたジェンキンス氏

 香港誌ファーイースタン・エコノミック・レビュー(FEER)がジェンキンスさんとの独占会見に成功、最新号にインタビューを載せている(ネット版の英文記事)。なんでFEERなんだ? きっとカルプ独立法務官にコネのある人がFEERにいるんだろう。さぞかし日本のメディアはくやしがったに違いない。でも、海外の雑誌に抜かれたのなら面子も保てるのかな。

 この記事を読む限り、ジェンキンスさんの北朝鮮亡命は後悔の連続だったとしか思えない。北朝鮮はこの世の楽園で、移り住んだ西側の人間は大歓迎されるとかいう話を聞いた気がするんだが…。そういえば、そんな話に乗せられて日本から北朝鮮に渡った人も多かったんだよな。

 一番驚いたのは66年にジェンキンスさんが平壌の旧ソ連大使館に亡命を求めて失敗したこと。亡命したのが65年の1月だったからわずか1年余りで北朝鮮を見切っていたわけだ。強制収容所とか送られなかったんだろうか? この記事だけじゃ細かい話は分からない。

 それに北朝鮮に亡命した直後も他のアメリカ兵3人と1部屋しかない家に住み、ベッドもなくて床に寝ていたばかりか、水さえなくて川から汲んで運んでいたという。ラジオでアメリカ兵の脱走を誘う呼びかけをしたり宣伝映画に出たりで優雅に暮らしてたわけじゃなかったんだ。

 曽我さんがジェンキンスさんと知り合ってすぐに拉致された身の上を話していたことも明らかになった。北朝鮮への嫌悪感という共通点から愛が芽生えて結婚したんだから、あの2人の絆は強いはずだ。ジャカルタの空港でのブチュッと音のしそうなキスがなんとなく理解できた気がする。彼にとってみれば、曽我さんが唯一の支えだったんだろう。彼女が日本に戻ってからの2年近くというもの、たとえ娘がいるとしても「死に体」だったんじゃないかな。

 このインタビュー、司法取引に向けた協議にプラスになることはあってもマイナスになることはないとみた。今の時代にまさか「北朝鮮だけじゃ飽き足らず、旧ソ連にまで寝返ろうとしてたとは太いヤツめ!」ってことにはならないよね。
posted by らくだ at 20:51 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 国内ニュース | 更新情報をチェックする
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