この記事を読む限り、ジェンキンスさんの北朝鮮亡命は後悔の連続だったとしか思えない。北朝鮮はこの世の楽園で、移り住んだ西側の人間は大歓迎されるとかいう話を聞いた気がするんだが…。そういえば、そんな話に乗せられて日本から北朝鮮に渡った人も多かったんだよな。
一番驚いたのは66年にジェンキンスさんが平壌の旧ソ連大使館に亡命を求めて失敗したこと。亡命したのが65年の1月だったからわずか1年余りで北朝鮮を見切っていたわけだ。強制収容所とか送られなかったんだろうか? この記事だけじゃ細かい話は分からない。
それに北朝鮮に亡命した直後も他のアメリカ兵3人と1部屋しかない家に住み、ベッドもなくて床に寝ていたばかりか、水さえなくて川から汲んで運んでいたという。ラジオでアメリカ兵の脱走を誘う呼びかけをしたり宣伝映画に出たりで優雅に暮らしてたわけじゃなかったんだ。
曽我さんがジェンキンスさんと知り合ってすぐに拉致された身の上を話していたことも明らかになった。北朝鮮への嫌悪感という共通点から愛が芽生えて結婚したんだから、あの2人の絆は強いはずだ。ジャカルタの空港でのブチュッと音のしそうなキスがなんとなく理解できた気がする。彼にとってみれば、曽我さんが唯一の支えだったんだろう。彼女が日本に戻ってからの2年近くというもの、たとえ娘がいるとしても「死に体」だったんじゃないかな。
このインタビュー、司法取引に向けた協議にプラスになることはあってもマイナスになることはないとみた。今の時代にまさか「北朝鮮だけじゃ飽き足らず、旧ソ連にまで寝返ろうとしてたとは太いヤツめ!」ってことにはならないよね。