ことの経緯は、評者nomadica氏のブログに【まとめ】AMAZONレビューをめぐる著者とのやりとりというエントリーがあるので、こちらを読むと分かりやすい。本の著者である吉田(ハンドルはbold)氏のブログは、きのうまで「amazon書評者nomadicaとバトル中…」というエントリーがあったのだが、きょうはそれが「amazon書評者nomadicaにお詫び」というタイトルに変わっていて、文頭に23行の反省の弁が書き加えられていた。
著者本人が読めばショックな書評だったのかもしれないが、誹謗中傷しているわけじゃない。第三者が客観的に読めば問題はどこにも感じられない。「ふ〜ん。そう読む人もいるんだ」で済みそうな話だ。吉田氏は、nomadica氏が別の本の書評でこの本との比較を論じたことについても「営業妨害」としている(nomadica氏自身も営業妨害といわれれば否定できないと返答)のだが、私は同意できなかった。何冊も本を書いている方にしては「表現の自由」に鈍いような気がする。
著者から評者にフィードバックが寄せられるというのはいいことだと思うし、双方のブログのコメント欄でのnomadica氏の大人の対応には感服させられた。私だったら絶対あんなに冷静沈着に対応できないもんな。でも、結果としてアマゾンのサイトから書評が消されて決着した格好なのはちょっと残念だ。
私はアマゾンの書評はそれほど参考にしたことがない。ひねくれ者の私のこと、星4つとか5つばかりの本を見かけたら却って「サクラを使っていい書評ばかり書いてもらってんじゃないの?」って疑うかもしれない(アマゾンでそういう不正を防ぐシステムを導入しているかどうか知らない)。読む人全員に共感してもらう文章を書くなんて不可能だ。
【関連エントリー】
ネット書評バトルの宣伝効果(8月3日)
なんちゅうか、ガキですなぁ(汗)<著者の人
わたしはAmazonの書評とかを参考にしてるほうですが、Amazonの評はサクラとまでは思いませんが、「いい」と思う人が書く率が高そうなんで甘めになっているのは確かでしょうねぇ
どんな高名な評論家が絶賛しても、自分が面白いとかすばらしいとか感じるとは限りませんから。
ああいうのがあるとやはり売り上げが上がるんでしょうか?
なぜ、推測することができるのか。それは、書き込んだ文章には、書き込みした人物の人格が反映されているからです。つまり、書き込んだ人物の一部分を直接見ているのと同じことだからです。もっと分かりやすくいうと、日常生活で自分が「Aさんはこういう人、Bさんはこういう人、Cさんは・・・。」と認識することと同じことだからです。
すなわち、書き込みを見た読み手が受け取る印象は、日常生活において、書き込みした本人と直接出会った時に感じる印象と同じだと考えることができます。
だから、社会的地位が確立されている人物であっても人格に問題のありそうな人物の主張は、「本人が書き込んだ文章から感じる印象」だけで「この人物の主張は信用できない。」と判断することができます。今回の書評バトルはその一例ですね。
・おまけ
さて、自分の主張を展開したハググですが、「文章から感じる印象」だけで判断するなんておかしいと考える人もいると思うので身近な例を一つ書き込みます。
写真好きな人には心当たりがあると思いますが、別に写真うつりが悪いわけではないのに「自分が格好良く写っていないので気に入らない。こんなの自分ではない。」ということをしていませんか。カメラやプリクラは被写体に媚びたりしません。ありのままを写します。出来上がった写真に写っている自分は、どんなに気に入らなくても間違いなく自分自身なのです。いかに印象が悪かろうと自分の一面なのです。文章も写真と同じです。自分の一部分なのです。書き込んだ本人の特徴が知らず知らずのうちににじみ出ているのです。だから、「書き込んだ文章から感じる印象」も結構参考になるわけです。
最近、書き込み過ぎている気がするハググ。次の書き込みは一段落ぐらいに短くできないか模索中(笑)。
何年か前に異業種交流会みたいなところで出版社の書籍編集者から話を聞く機会がありました。将来見込みがありそうな書き手は、どこか変わった人やアクの強い人が多いそうで、「誰もが誉めるイイ人」より「どこからみてもイヤな奴」の方が売れる本を書く可能性が大きいとのことでした。この著者にも凡人を突き抜けた個性を感じ、あのときに編集者が話していたのはこういうことだったのかなと思ってます。
ひょっとすると、ネット上で書評バトルが話題になったことで、本と著者の知名度が上がって結果的に宣伝になっていたりして…。
おかしな話ですが、書評に対して書評をするという人がいることも事実です。気に入らないレヴュアーに対して、マイナス票をごっそり投じるという嫌がらせも後を絶ちません(わたしもされています)。
そういう陰湿なものに比べたら、ある意味直接対決したわけですから、それはそれでいいことだと思います。でもわたしも冷静には対応できませんね。バトルに疲れたから謝って終わらせたのかもしれませんが、「言論の自由」という点では、話し合って頂きたいと思います。
一旦主張した内容を、どこかから突き上げを食らったら、あっさりと言をひるがえし謝罪するケースが多いように思う。最初からどうでもいい主張だったのか?
自分の主張をするのが難しい世の中なのかもしれないけど、個人的にはしっかりはっきり主張し、簡単には曲げない人間はカッコイイと思う。
石原都知事に関して
糸の切れた凧みたいに定まっておらず、主張している内容をころころ変えていないという点は評価できます。しかし、自分に間違いがあった場合には謝らなければなりません。自分の意見を押し付けるだけでなく「謝罪する」という謙虚な姿勢を持っている人こそ本当に格好いい人間だと私は考えます。
今回の「フランス語発言」の主張内容は明らかに石原都知事に非があります。考えてみてください。逆にフランスの偉い人がこんなことを言ったらどう思いますか?「日本語は漢字、ひらがな、カタカナがごちゃ混ぜになっていて面倒極まりない。だから、日本語は未熟な言語だ。」石原都知事の発言内容は、この発言内容と一緒ですよ。だから、石原都知事はちゃんと謝罪しなければなりません。今後の対応によって石原都知事という人間の器が分かりますね。
らくださん、日記の内容と直接関係ない書き込みをしてごめんなさい。
おかめさんの経験をほんの少し教えてもらっただけでも、なんだか大変そうだなぁという印象です。ヘタレな私はこのブログで「チラシの裏」的におとなしく読書感想文を書くのが性に合っていそうです。
石原都知事の話は直接関係ないので、コメントは控えさせていただきます。私は首尾一貫した主張をできる人を尊敬しますが、自分にはそんな能力はなくて間違いだらけの人間だってこともわきまえています。
ネットの世界だけに限りませんが、「自分は絶対正しい」という思い込みは、私にはとても危険だと感じています。自分が間違っていることに気づいたときは、素直に誤りを認められる人間になりたいです。
1)エントリーと関係がない。
2)幸いまだ誰からもレスがついていない。
3)投稿者が「議論も批判も同意もノーセンキューです」としている。