自分が15歳のころ、親への対抗策ときたら「口をきかない」とか「部屋に閉じこもる」ぐらい。ほかに思いつく手段なんてなかった。この高校生、タイマーでガス爆発させるような知恵がありながら、両親を殺したらどうなるのかまで考えなかったんだろうか。そのあたりが理解を超えている。
草津の温泉旅館に1人で行って泊まったというのも15歳とは思えない、中年のような行動だ。そんなところに自分1人で泊まれば目だってすぐに足がつくとは思わなかったのかな。目立たないためにはユースホステルか何かに泊まるはずだし、捕まるのを待っていたのか。
こういう時に必ず出てくるのが『卒業文集』だ。きょうはこの高校生が小学校の卒業文集に「引っ越しが嫌い」と書いていたと紹介され、それが犯行を招いたというような論調でコメンテーター・キャスター連中が頷いていた。私はなぜか、こういうときに卒業文集と犯罪とのこじつけを聞くと、「ちょっと待ってよ!」という気分になる。テレビの人たちは過去の文集に必ず犯罪の予兆を見つけるのだが、そんなに単純なものだろうか。
もし卒業文集で将来の犯罪が占えるのだったら、少しは対策がありそうなもんだけど。少なくとも私は卒業文集なんてテキトーに書いていた。しかも高校生にもなって小学校時代の文集を穿り出されるのだから、そんなもので深層心理を云々されてもズレまくりだ。私がこの高校生の同窓生で同じ卒業文集に作文を寄せていたりしたら、「大人がそろってしたり顔して何言ってんだよ!」と怒りを爆発させるかもしれない。
【追記】卒業文集が小学校時代のものであったことを最後の2つの段落に書き加えました。(6月23日)
わが家でも話題にのぼりました。
年寄りたちは「いまの若い連中は・・・」で終わってしまったけれど、いま子育て中のわたしとしては、やっぱり「大人が聞く耳を持たなすぎている」と思いました。
そこに至るまでに数々のサインを出していたはずなのに、周りの大人が気づいてあげられなかったのは残念です。
おとなしくて目立たない子ほど怖いと思います。
手がかからないと思われて、放っておかれるからです。
こんなときに卒業文集なんて出してきて、したり顔でしゃべる人達の気が知れません。
あんたたちはどれくらい子どもの言うことに耳を傾けているの?と聞きたくなります。
一般のマスコミだけがってわけではないと思います。
人間だれしも納得できる理由を脳内で捏造してしまうのではないでしょうか。
例えば、突然に誰かが自殺したとして、
その理由はなんだったのか過去系で語られ、そしてそんな予兆があったという周囲の声。
人って本質的に、結果に対して原因を作り出す傾向があるのではないでしょうか。
「親の側にもなんか原因があるんじゃないの?」
犯人の少年がぷっつんする訳ねぇ。そりゃ何かあったから殺してしまったんだろうけど、母親を殺した理由については、へ?と呆れるだけだった。
偉そうなことは言えませんが、
親の堪忍袋の緒が細いと、子どものそれも細くてキレやすい、という気はします。
「親の側にもなんか原因があるんじゃないの?」
犯人の少年がぷっつんする訳ねぇ。そりゃ何かあったから殺してしまったんだろうけど、母親を殺した理由については、へ?と呆れるだけだった。
偉そうなことは言えませんが、
親の堪忍袋の緒が細いと、子どものそれも細くてキレやすい、という気はします。
今まで耐えていたんだね、ずっと。
親を殺して、目に見えない何かから解放されたのかもしんない。
今後事の重大さに気がつくことになるのかもしれないけど。
抑圧されすぎると、ああいう思いもつかない行動に出ることはしばし身近のニュースにもあるんじゃないだろうか?
と言うような感じでニュースを聞いていた。
「人生で我慢は必要だけど、親の都合で抑圧されるべきではない。」
と、私は思う。
愛情と憎しみは表裏一体(正と負の関係)。身近にいる人に対してほどその感情は増大する(例えば両親)。自分と無関係な他人、自分と接点がない人、自分とつながりが薄い人に対しては、愛情も憎しみも湧くことはない(例えば、道ですれ違った人。何かのきっかけがない限り、何らかの感情を抱くことはない。)。
多くの人々は、この少年のように殺害に至ることはない。何故なら、自分なりの方法で不愉快な感情を消化し、内側に溜め込み続けることがないから。つまり、消化できなかった幾つもの小さな憎悪が積もり積もって一つの大きな憎悪となり、ついに犯行に及んでしまったわけですね。愛情に強く飢えれば飢えるほど、裏切られたり認められなかったり否定されたときに愛情の裏返しである憎悪も強くなる。
しかし・・・、母親に対する少年の行動は、ふつう憎んでいる相手にするもの。かわいそうだと思っている相手にすることではない。矛盾があるいじょう、私がこの少年に同情することはない。
なんだかな・・・いつの時代にも悪事は蔓延するとはいえ、心がすさんだ事件が多発している。嫌な世の中になったなあ。しょんぼり。
ま、ニュースは基本的に悪い事ばかり報道するんだし、私も割り切らなければ(消化しなければ)。
長文になってしまってごめんなさい。らくださんの日記一日分に負けず劣らずの長さになってしまいました。
携帯電話もパソコンもあって物質的には恵まれているけど、今の15歳の子たちのほうがつらいのかなぁとぼんやり考えました。
家族や教師などの大人が注意してさえいれば、どうにかなるもんなんでしょうか? それも分かりません。ぶたまねきさんのところみたいにこういう事件についても親子で会話があるのはいいですね。最近は1人でご飯を食べる子どもが増えているという統計をちょっと前に見ました。子どもは孤独なんでしょうか?
よく「子は親の鏡」なんていいますが、それはいったいいつまであてはまるのでしょうか。たとえば30ぐらいの人が犯罪者だと「30にもなって」という言い方されますよね。20歳を境にして親の責任と自分の責任になるのかな。そんなにスッパリ行くもんだろうか。久しぶりにアダルトチルドレンという言葉を思い出しました。
長文とか重複コメントとか、気にしないでいただいて結構です。最近コメントの数が落ち着いてきたので重複は適当に消しますが、わざわざ重複したお知らせを書き加えていただいた場合はそのままにしてラクさせてもらっちゃいますね。
yuu.さんのコメントとかぶるかもしれませんが、何かしらの凶悪犯罪が起こったとき「犯人には特別な事情があったんだ、自分達とは違うんだ」って思える何かしらの理由を視聴者が欲しがってるのかなぁ、と思ってます。
話は変わりますが、今回の犯人にとって殺人によるデメリットよりもメリットの方が大きく感じたのかもしれませんね。
あるいは、親憎しの感情で判断力が低下してただけなのかもしれませんが。
ただ、事件の捜査側やらの関係者が卒業文集やらの過去の変遷に注目するのはいいのですが、マスコミが事件をしゃぶりつくすあまり、いちいちニュースにし過ぎるのは良くないと思う。
いちいち大して意味もないような場合でも「卒業文集」などを持ち出すような蛇足もあれば、事件の特異性、残虐性、被害者の家族の心理、などなど・・・詳細にやり過ぎる気がする。
特異な事件・奇怪な事件・残忍な事件、徐々に増えていくのはマスコミがそれらの事件の詳細をおどろおどろしく世の中に伝播し過ぎているせいもあるのではなかろうか。残虐なニュースを詳細に報道しすぎた場合、それが世の中に及ぼす効果を考えないのだろうか。それらは大抵、似たような残虐な事件を呼んでいるというのに。
捉えようによっては「知る権利」の名の元に、精神的に不安定な者を扇動し、犯罪そのものへ誘致しているかのようだ。
・・なんか論点がずれてきてる・・
さらに長文。おかしなこと言ってたらスマンです。
事件のニュースを洗いざらい読み、色々考えてみた。
この少年は本来とても聡明なのだと思った。ただ、立ちはだかる現実が厳しすぎた。どうしようもない親父、息子を奴隷のようにこき使い、息子の尊厳を奪い取るのに熱心。組み敷いて「お前は俺より頭が悪い」などと言い聞かせるなどその最たるものだろう。
息子が父親にあてつけるかのように勉強など頑張っているのが気に入らないのか?嫌われてる自覚はあるのだろう。
その厳しい現実に抵抗するかのように、近所の空き家に入り込んでまで宿題をする少年。息子の努力を潰すのに熱心な父親の邪魔により、家で宿題ができないのは想像に難くない。恐らく、学校での自分・学校生活は、家での自分とは一線を画する、どうしても守りたい空間だったのだろう。学校で家庭環境の苦しみのサインなど出す筈がない。
しかし、空き家に入り込むという行為が学校から注意を受けることになり、親から自分への風当たりはいっそう強くなった、現実はよりいっそう厳しくなったのではなかろうか。
本来あるべき両親という存在とはかけ離れすぎた自分の両親。
父親は自分をいじめこき使い、尊厳を奪うのに熱心であり、母親は現実の前にいつも『死にたい』と言っている。まるで負け犬。
少年の心が折れるのも時間の問題でしかなかっただろう・・。
人の尊厳を奪い続け、罵る。しかもそれをするのはそれを最も効果的に行える立場である父親。
一生立ちはだかる、深い絶望の壁。
父親は少年に対し深々と絶望を刻み続けた。逆に父親は自分の行動が何を生むのか分からなかったのだろうか・・。
人が人を殺すには充分すぎる理由ではないだろうか。
少年は良く考え、考えに考え抜いた末の行動だったのだろう。計画的なのは当たり前のことだ。
少年にとっては「殺したらどうなるか」よりもむしろ、「殺さなければ行く末どうなるか」という思考が中心だったことだろう。
この少年の最大にして唯一の目的は自分の人生から父親を消すことであっただろう。殺人を隠すつもりも、逃げ隠れするつもりもなかった。
犯行後に温泉など捜し求めたのは、ただ単に父親のいない自分の人生を、少しばかり安らぎたかっただけじゃなかろうか。自分が捕まるまでのわずかな合間に。
考えすぎて感情移入しすぎて悲しくなってきました。
そうなんです。少年としたら「殺す理由は十分にある」と思ったのでしょう。「将来の幸せ」よりも「目先の自由」を選んだってことですよね。
新たな報道では社員寮の仕事を手伝う負担がどんどん重くなっていったのが不満だったとされています。その不満をこういう形で爆発させる前に、親を話し合うことはできなかったのかな?
親がまともに取り合ってくれなかったら、非行に走るとか家出するとかいう選択肢は私でも考えつくのですが…。そのあたりで私の想像力は止まってしまうのです。
もしこの父親が異常だとすれば、この父親をして異常たらしめた負の連鎖は、この父親の育った家庭、さらにはそれ以前まで遡るものではないでしょうか。
ある意味、少年は加害者であるが被害者でもあり、さらには父親もトラウマをもって育った被害者なのかもしれないと思います。
少年は安易な凶行に走ったけども、父親すら被害者であるかもしれない、と気がついていれば・・と思う。
しかし同情はすれども肯定はしない。
下地はあったけども、起こるべくして起こった、とまでは言わない。
自分の人生を切り拓くつもりなら、負の連鎖を断ち切ってこそ自分の人生が拓けるというもの。安易な凶行に走って拓ける人生はない。
世の中のほとんどの人は平気な顔して生きているけども、自分の生まれた家庭や環境を克服して生きているんじゃないでしょうか。
私自身「克服した」と断言できる自信はなく、ズルズルと引きずっている状態ですが。