戦時中に日本語を習ったおばあちゃんは、ちょっと怪しいながらも日本語ペラペラ。私が台北を「タイペイ」と言うのに対し、おばあちゃんは「タイホク」、北投は私が「ペイトウ」、おばあちゃんは「ホクトウ」だ。
「これじゃどっちが日本人か分かりませんね」と笑ったら、おばあちゃんは「私の心は日本人なんだよ」と真面目な顔で言う。話を聞くと、こういうわけだった。
おばあちゃんは貧しい家庭に生まれたから学校に行くのは諦めていた。日本人が来て近くに学校を作ったので、2年間だけながら初めて学校に通うことができたのだ。
そんな昔の話をすごく嬉しそうにするおばあちゃん、「私のおかあさん、日本の兵隊さんが来るとご飯をたくさん、たくさん食べさせたんだよ」とご飯を山盛りに盛り付ける仕草をした。「台湾の兵隊さんにはちょっとだけ」とククッと笑うと子供みたいだ。
今では日本語を使うこともないというおばあちゃんに「よく今でもこんなにペラペラ話せますね」と言ったら「当たり前だよ。感謝の気持ちを忘れていないから」と言われた。予想外の発言だった。
すごく嬉しいようなちょっと悲しいような切ないような複雑な気持ちだった。こんなことを言ってくれるのは世界広しといえども台湾の人だけだろう。どうしていいか分からずもじもじしちゃった。
別れ際「話ができて本当によかったです」と言ったら「また台湾に来て温泉に入りに来なさいね」と言ってくれ、お互いに何回も「ありがとう」と言って別れた。
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泣けた…
ここで正直に白状しておくと、「私の心は日本人なんだよ」と言われたとき、私ったら『あれ、おばあちゃん、ちょっとボケ気味?』なんて思ってしまったんです。自分の心の貧しさが本当に情けない…。
人間1人1人の歴史って、本や新聞やテレビを見たり読んだりして知ったのとはまったく違う重みがあるのだな〜としみじみ思いました。
久々にらくださんのページを覗いたら心温まる記事が、、。
素敵な出会いでしたね♪
このように思ってくれている人がいたなんて・・・
日本人のしてきた愚行を考えると胸が苦しいです。
温泉だけでなく素敵な出会いがあってよかったですね。
いつも思うんだけど、心温まる出会いがあった旅にこそ
旅の醍醐味を感じます♪
考えてみると、あとあとまで記憶に残るのは、有名な観光地や名物料理よりも出会った人たちです。私は旅先で出会う人にはめぐまれているといつも思っています。
>聖婆さん
ここはジモ専みたいなところで、お金を要求されて入れてもらえなかったという人もいるので、入れただけでもラッキーだったんです。
その挙句におばあちゃんとのおしゃべりというおまけまでついてきて、素敵な思い出ができました。こんど一緒に行きませんか?