ブログで結果を紹介してもいいとのことなので、せっかくだから紹介させていただいちゃおう。2年生と3年生の授業で使って生徒にアンケートを実施したそうだ。いただいた結果をパーセント表示に計算して紹介する(数字は適当に四捨五入している)。
Qあの場面に自分が居合わせた場合はどうするかいただいた結果では2年生と3年生の格差が結構はっきり出ている。これはサンプル数(2年生46人、3年生21人)の違いも背景にあるのかもしれないが、3年生ともなると意識が変わってくるということなんだろうか? 一般論として「よく席を譲る」と「たまに席を譲る」が全体で9割以上いるっていうのは、個人的な予想よりも多かった。高校生のみなさんは私のようなオバが思っているよりも心優しき存在なのかもしれない。
老人に席を譲る 譲らない
2年生 30.4% 69.6%
3年生 42.9% 57.1%
合 計 34.3% 65.7%
Q普段は席を譲りますか
よく譲る たまに譲る 譲ることはない
2年生 10.9% 78.2% 10.9%
3年生 14.3% 81.0% 4.7%
合 計 11.9% 79.1% 9.0%
このほか目だった意見もピックアップして教えていただいた。「若者が年金の話を持ち出すのはおかしい」という意見は元記事のコメント欄でも多数寄せられているので意外感はない。新鮮だったのは「『大人』なら席を譲るだろうが、自分は『子供』なので譲らない」という意見だ。自分の若さゆえに席を譲る必要はないという主張は初めて目にした。
私なんて隣に高校生が座っていて高齢者が乗ってくれば「この高校生が立ってくれるだろう」なんて思いそうなもんだが、向こうは向こうで「このオバさんが立ってくれるはずだ」と思っていることもあるのか…。
2年前の夏は旅先でこんなことがあった。隣のボックス席に座っていた70代半ばから後半?の女性3人組が席を譲られることについて大声で話し始めたのだ。「30代から40代のおばさん(おいおい、あたしのことかよ?)に席を譲られた日にゃ、ものすごく惨めで1日中落ち込んじゃうのよ」「分かるわ〜。あんたたちに年寄り扱いされたくないって思うわよね」「席を譲られて気持ちよくお礼を言えるのは、20代から30代のサラリーマンだけよね」「なかなかいないわよね〜。40歳ぐらいになると脂ぎってくたびれてくるし」。
彼女らはひとしきり騒いだあと「でもさぁ、疲れていて座りたいときもあるじゃない。そういうときは帽子を脱いで白髪を見せてやるのよ。大抵の人は立つわよ」。この会話は強烈に印象に残った。高齢者みんなが同じ意見だと到底思えないにせよ、私は数カ月間電車で席を譲る気になれなかった。
元記事に「自分は電車に乗っても席に座らない」とコメントを寄せてくれた人が何人かいたが、他人を不愉快させたり自分が気まずい思いをしないためにはいい方法かもしれない。実践してみようか。
「席を譲らなかった若者」の記事に対するあのコメントの量は、皆が心の隅に抱えている問題(大げさか?)が生み出したものではないでしょうか・・・
俺にはBlog上では譲ると言っている人全てが、普段の生活の中で席を譲っているとは思えません
俺はあまり電車には乗らないのでたまたまかもしれないですが、私生活で席を譲っている場面に出くわしたことがないのです
しかし、譲ると言っている人たちは、「譲らなければ」と思っている人たちばかりなんでしょう
「譲らない」と言っている人たちの中にも本当は譲るべきなんだろうと、考えている人はいるのでは?
でも、「席を譲られて気持ちよくお礼を言えるのは、20代から30代のサラリーマンだけよね」とか
「疲れていて座りたいときもあるじゃない。そういうときは帽子を脱いで白髪を見せてやるのよ。大抵の人は立つわよ」とか
考えている老人の人がいるから譲る気になれないって人が多いのではないかと思います(俺もこういう意見です)
でも、「『大人』なら席を譲るだろうが、自分は『子供』なので譲らない」
この部分は酷いね、言い訳でしかない
高校生にもなって、自分を『子供』と言ってしまうのは責任のがれ何じゃないかな
大人扱いもされないでつらい年齢かもしれないが・・・
そもそも、席を譲る、譲らないは、本人の両親の問題なのだから、大人も子供もないはずなのに・・・
彼らは大人になっても席は譲らないでしょう、言い訳はいくらでもあるので
俺の「譲らない理由」も言い訳なのかもしれないな・・・
うーんこれちょっとびっくり。
私が子供の頃はよく母の実家に2時間かけて電車で行ってたんですけど、混んでる時は母が「子供は立つものだ」といって絶対座らせてくれませんでした。
なので子供なので譲らないって発想、私にはちょっと突飛ですね。
でも、車内でそういう話題を大声でできるような高齢者は、都合のよいときだけ高齢者で他の点では「自分は若い!」と思っているんでしょう。
これから席を譲るときはよ〜く様子を伺ってからにしようかな(笑)?
自分にも高3の息子がいます。聞いてみないとわからないけれど、多分、「自分が子どもだから」席を譲らない、という意見ではない、と思います(思いたい、のかも)。
これは本当に言い逃れ以外の何ものでもないですね。さっき書いた高齢者の反対で、都合のいいときだけ「子ども」、それ以外は自分の権利ばかりを主張したりするのではないでしょうか。
私は高校2年生です。電車の座席は座れる時間帯に乗らない(朝夕のラッシュ時のみ)のであまり譲る機会はないのですが、"たまに譲る"派だと思います。
『子供だから』譲らないっていうのは、背景に最近の一部の親の異常なまでの過保護があるんじゃないかなー、と思います。
子供に席を勧めて自分が立ってるお母さん、電車の中でよく見ますしね。
だから子供は自分が座って当たり前だと思って、他の『大人』がやってくれると思うんじゃないでしょうか。本人には責任逃れなんて自覚はないと思います。
…と、別に弁護がしたかった訳ではないのですがこういう見方もあるよ、というお話でした。
でも、私も所詮は親の脛をかじって生きてる『子供』なので、説得力はないかも知れませんね(苦笑)
また面白い記事をありがとうございます。
とても興味深い授業の結果ですよね。
でも、三年生になると意識が変わるというよりも、きっと受験の調査書を意識しての回答なのではないでしょうか。
どうもこの国では「席を譲ることは、美徳である」と子どもの頃から叩き込まれるせいなのか、ある種の強迫観念が誰の心の中にもあるような気がします。
そして、良く見られたい、良く思われたいという気持ちは誰でも持っているものなのだけれど、そういう下心なしに人に親切にしてあげられる人間になりたいですよね・・・。
自分はまだまだだけれど・・・。
私が高校生でこのアンケート調査を受ける立場だったら、「授業の一環なんだし…」と格好をつけていい子を演じてしまうでしょう。だから絶対に「子供だから譲る必要はない」とは書けない。その点、この高校生はすごく正直なんでしょうね。何百も寄せられたコメントにない視点だったのでビックリしました。
私には子供がいないので分からないにせよ、ぐるりさんの書いているように親の過保護っていう面もあると思います。
中学時代の運動部のメンバーで集まった際、いたずらして先生にビンタされた話になりました。中学校の先生をしている当時のメンバーが「今だったら絶対に考えられない。親が学校か教育委員会に怒鳴り込むよ」と聞いて、みんなで「はぁ〜、すごい時代だね」と驚き呆れたもんです。
ひでおさんのご指摘どおり、私も「席を譲らなかった若者」に寄せられたコメントの傾向がそのまま実際の行動に当てはまるとは思っていません。「席に座ったらすかさず寝る」とか「自分の降りる駅まで、とにかく寝た振りをして絶対に席を譲らない」という人たちは、コメントを寄せなかったサイレント・マジョリティの一部なのでしょう。
周りの人と自分がお互いに気持ちよくあるにはどうすればいいのか、昔はそんなに真面目に考えることじゃなかったような気がするんですが。なんか最近ギスギスしているように感じるのですが、私の周りだけなんでしょうか?
今回のアンケート結果について、私見を述べさせていただくと、これほど「席を譲る」高校生が多かったのは、やはり成績との関連がを否定できないと思います。こちら側では、成績に関係ない旨あらかじめ伝えていても、高校生はシビアですから。
だけど、その一方で「『子供』だから席は譲らない」という意見が出たことは、私にとっても驚きでした。だから、面白い意見として紹介させてもらったのです。
実際のところ、高校生はアンケート結果よりも利己的なような気がします。これと似たような話題では、電車の中で化粧をすることの是非や、車内で携帯電話を使うことの是非を聞いてみたこともありますが、こうした席を譲ることより(彼らにとって)日常的な話題になると、「人に迷惑かけなければ何したっていいじゃん?」という回答がものすごく増えるのです。その意味では、「席を譲る」こと一つとっても、公共的な空間に対する若者の関心は低下してきているのは間違いないと思います。
このブログの方向性とは若干ずれてしまいますが、教員として生徒の本音に近い部分を引き出せるかどうかという問題には、いつも頭を悩まされます。「いい子でいて欲しい」という教員的な立場と、「模範的な回答をしてるだけの機械的な思考」を目にする物足りなさとの葛藤が、作文の授業にはつきものです(苦笑)
たとえ骨が弱っていても私は席を譲らない。その人が過去にどんな行いをしたか私は知らないからだ。
悪さばかりしていた不良だったのかもしれない。そういう人に席を譲るかも知れない可能性がある限り誰にも席を譲らない。(妊婦となると特例)
言うまでもなく中には善人もいるんだろうが、わからない限り譲らない。
「良い行いをしたものに優しくする。逆の人には冷遇する」
私の普段の考えを「席」に当てはめて見ました。
みての通り、私は心が狭いです。こんな人間の意見です
「席を譲る事」コレは一種のボランティア。
ボランティアの大原則は「自発的にする」だから、若者が席を譲らなかった事を批判する人は単純な事しか考えていないだけ。
前に群がってた人達はただ自尊心でも高めたかっただけのように見える。
実際、あんなこと目の前で言われたら99%の人間は席を譲らない。これは確実に断言できる。
>>ブクロ様
おそらくその子は深い事は考えてなく、冗談混じりに言ったと思います。
たとえ骨が弱っていても私は席を譲らない。その人が過去にどんな行いをしたか私は知らないからだ。
悪さばかりしていた不良だったのかもしれない。そういう人に席を譲るかも知れない可能性がある限り誰にも席を譲らない。(妊婦となると特例)
言うまでもなく中には善人もいるんだろうが、わからない限り譲らない。
「良い行いをしたものに優しくする。逆の人には冷遇する」
私の普段の考えを「席」に当てはめて見ました。
みての通り、私は心が狭いです。こんな人間の意見と思ってください。
「席を譲る事」コレは一種のボランティア。
ボランティアの大原則は「自発的にする」だから、若者が席を譲らなかった事を批判する人は単純な事しか考えていないだけ。
前に群がってた人達はただ自尊心でも高めたかっただけのように見える。
実際、あんなこと目の前で言われたら99%の人間は席を譲らない。これは確実に断言できる。
>>ブクロ様
おそらくその子は深い事は考えてなく、冗談混じりに言ったと思います。
ある高校生1人(?)の意見を、まるでその世代の代表の意見のような捉え方で書き込んでしまった
分かっていたつもりではあるけれど
ハググさんの言うとおり、それはあくまで個人の意見ですね
ぐるりさんはきっとこんな人ではないのでしょう
ここの記事に出てくる70代半ばの女性の会話もあくまで個人の意見ですね
こんな老人たちの話はよく聞くのですが
もしかしたら「譲ってあげよう」との考えに対して
「そんな態度かよっ!」って思う気持ちが
大きく出てしまったのかもしれませんね
でもなぁ
あまりにも多いんだよなぁ
> 『大人』なら席を譲るだろうが、自分は『子供』なので譲らない
他で聞いたことないしなぁ
ブクロさんが「高校生はアンケート結果よりも利己的なような気がします」と感じているのは私も同感です。前回のエントリーに寄せられたコメントの全体的な傾向と、今回のアンケートの調査結果の両方にいえることなのですが、自分が日ごろ車内で目撃していることを踏まえれば『実際には寝たり寝たふりして席を譲らない人の割合ってもっと多いのではないかなぁ』という気がするんです。
>ひでおさん
一般的にいってひでおさんのコメントに不快感を持つ人っていないと思いますよ。それこそ「1億人いれば1億人の意見がある」と思います。こういう話って、みんながこぞって納得できる答えはないような気もするんです。ひとつひとつのコメントに感謝しています。
>lay様
>>おそらくその子は深い事は考えてなく、冗談混じりに言ったと思います。
まったくその通りだと思います。高校生なりの「悪ふざけ」という一面もあると思います。ただ、冗談だとしても、こうした意見を書く子はほとんどいないし、批判を恐れずに書いてくれたことについては、私個人として評価し、参考意見としてとりあげました。
「席を譲る」
事は良いこと、と教えられてきたけど、一概には言えないよなぁ、そうだよなぁと思ってしまいました。
ちょっと話は飛躍してしまうのですが、
「高齢化社会に対する不安」
みたいなのも影響してるんですかねぇ。
お年寄り、昔に比べて多いですもんね。
昔はお年寄り、少なかったですもん・・
ただ、他の人がそれを見てそういう風に思うか否かそれだけだ。
席を譲る人は良い人に見えるかもしれないけど他にも座っている人もいるわけでそれを安易に若者に押し付けるという姿勢はいかがかと思う。
ずれてると思われるかもしれませんが
駅構内で突き落とされた老人の話を思い出すんですが
老人が「まー、いまどきの若い者はこんな所でコンパクト取り出してなんて恥知らずなのかしら。」
と言うセリフに逆切れして突き落とした女性の方がいましたが価値観の押し付けをする老人の方たちのほうに問題があると思います。
価値観が多様化しても自分にとって大事なことはその人自身の問題なのですが他人がとやかく言うことによっておきる事件の方がよっぽどタチが悪い気もします。
「結局はその人の本質がドコで現れるか」
>「お年寄りに席を譲りましょう」とか「お年寄りを大切にしましょう」などというキレイごとを聞いて育ってきた世代の私にしても
ちなみにワタクシ的には最近のお年寄りはタチが悪いので私は絶対に譲りません、女性とか妊婦とか子どもになら譲りますが。
僕は心狭いんであんな嫌味言われたら立てる状況でもないでしょ。
これ、性格的なことを言ってるんじゃないかと。自分は子供だから席を譲るほど大人になれないみたいな。
違うのかな?21歳の『子供』な自分はそう感じました。
自分が足を怪我したことがあって以降は怪我をした人や杖をついている人には特に譲るようにしています。
でも絶対に譲らないのは始発列車にあわてて乗り込んできた方。
始発なのですからラッシュ時には5分も待てば座れるので譲ることをしません。
こちらも2本ほど待ってから乗っているのですしね。
まぁ要は譲る場面がうまく自分のところにくればってことですね。
以前電車に乗っているときに高校生の男の子がおばあさんに席を譲ろうとしたら
「学校行って疲れてるんだから座ってらっしゃい。
私は遊びに行くんだからいいのよ」
と笑っていってました。
確かに仕事で疲れて帰ってきた人と遊んできた人じゃ、譲ろうという気分も変わってきますよね。
「精神的に成熟した大人であれば譲るだろうが、自分はまだ精神的に子供なので、状況的に譲ろうと思えるかどうかわからない」という取り方も一瞬考えてみたんですが、どうでしょう。
どんな年寄りかわからないから席を譲らないなんて偉そうにいえません。
自分は自ら進んで悪いことはしないけど絶対に他人に迷惑かけていないなんていえないし。
私は20代の若者ですが、考えさせられました。
私の考えとしては、年金に関して老人に言うのはおかしい、今まで積み立ててきたものを貰うわけだから、老人に非はない。
現状の政治の腐敗により、若者の税金が
老人の年金に流れているかもしれないが。
老人に対しても譲って欲しいのなら素直に
譲って貰えないか?と言うべき
嫌味のように言えば誰だってカチン!ときますよ
今回授業の一環として取り入れられたそうですが、現代の子供には1+1=2等の様な授業より、このような授業に力を入れる必要があるのかもしれませんね。
遊び帰りでなくても、聞こえよがしにイヤミを言う相手では、意地でも譲らないと思います。
我ながら大人げない気もしますが、自分は年寄りだから当然という態度を取る老人には嫌な思いをさせられてるんで。
そういう自分も高校生なわけですが・・・僕が座るのは空いてる時が多いので、譲らなくても座れるのからほとんど譲らないんですけどね。
ただ、実際にマナーというか常識を理解してないんじゃないかと言う高校生もいると思います。
高校生に言わせれば、僕がやっぱり変わってると言うか老けてるからだと思うんですがね(笑)
今現在、親の都合で海外に暮らしているので、説得力はないかもしれませんね。
でも、老人でも長く生きてるからって尊敬できる人とは限りませんよね。
充実した1日はダラダラとした1年より勝るというようなこともありますから。
特に、最近のお年寄りは人間的に尊敬できない人をよく見かけます。
もちろん尊敬できる方もいらっしゃいますが。
「子供だから」はまあ冗談でしょうね。まともにアンケートに答えることに抵抗がある子も多いですから。あの「人間は死んだら生き返るか」に「生き返る」と答えた小学生たちもそうでしょうし。大騒ぎするほどのものではありませんよ。
通勤には電車を利用しますので、座ることも立っていることもあります。
僕個人は、通勤時帰宅時はほとんど席を譲りません。
他の人に譲る余裕が自分にないからです。
たまに早く上がることが出来て、自分に余裕があり目の前にお年寄りが立っておられたら譲りますが、自分が疲れて座っている時にはちょっと譲る気が起きませんね^^;
それにしても、席を譲ることについてエントリーを書くとなんでこんなにアクセスとコメントが増えるんでしょう?
私は「席を譲らない」派です。いや、譲ったことはあるんですが、それを人に言うことが嫌なんです。(今、言ってますけどね^^;)
私は大学時代、親友に「今日は良い事した!電車で席を譲っちゃった。」と言われた事がありました。
そのとき私は心の中で
「それってアピールすることなの?おかしくない?」
「まさか、口に出すことで、ここまで善意の欠片も感じられなくなるんだなぁ」
と痛感しました。実際、親友との間に溝ができた気分になりましたから…
それ以来、電車の席は当然として、献血の話は口に出さない。そして羽の募金は羽を付けない・もらわない、と天邪鬼になってしまいました。
話が脱線しました^^;
古臭い考えの私としては、このアンケートで「席を譲らない」を選んだ人の中にも、私のような天邪鬼がいて欲しいと考えてしまいます。
やっぱりこの場合は嫌味を言った老人が悪いかと思われます。
人に優しくする、というのは自分に余裕がなければできないものです。
この場合で言えば、嫌味を言われた時点である種の精神的な余裕はなくなってしまったのだと思いますし、日頃心身ともに疲労の溜まる生活をしている人にも余裕、というものは少ないでしょう。
そう考えれば、嫌味を言って周囲にも嫌な雰囲気を撒き散らした老人に非があると思います。若者の反論はどうかとも思いはしますが、これが何らかの身体的な障害があろとも変わりなく嫌味を言って強引に退かせる手法を選ぶことが問題ではないかと。
実際嫌味言われては渋々退く人以外居なくなりますよ。
可能な限り譲ります。
ウチには祖母がいるので、彼女も誰かにゆずって貰えていたら良いなと思って。
あと、同世代でも大きな荷物を持っている人や子連れの人にもなるべく譲ります。
現在はハワイに住んでいるので公共の乗り物はバスしかありませんが、ここの場合たまに運転手さんが「あなたは若いんだから譲りなさい」とアナウンスで言ったりします。個人の意見やポリシーよりも、社会がそうゆう風になっている感じです。
高校生の認識ですが、まあ、中高生の時というのはこんなもんじゃないでしょうか。斜に構えたがるというか、照れ隠しもあると思います。本当は超毎回譲ってるのにそう言わない子、全然譲ってないのに譲ってると言う子、いろいろです。
と言うのも、私は20代ですが、数年前腰を痛めてまともに歩けなかった時期があります。
(当然立ちっぱなしはツラい)
コルセットをしていましたが、服の下に着けますから、
外見的には完全に健康体です。
幸い自分の前に身体の不自由な方や妊婦の方は来ませんでしたが、
一度だけそこそこ元気そうでしたが、ご老人が近くに来たことがありました。
そのときは正直かなりあせりました。
と言うわけで、一見健康そうな若者でも、実際は
そこんじょそこらのご老人よりよっぽど不健康?と言う場合もあるのです。
現役女子高校生をしているものです。
何年か前に某千葉県舞浜にあるテーマパークにいとこ達を連れていった時のことを思い出しました。
子守りで疲れてるはずなのに、母と叔母は帰りの電車ではいとこ達を座らせました。私は母と叔母に座らせたくていとこに立つよう言ったのですが、逆に母に怒られました。
その時私は大人はどんな事があっても子どもを優先させる事を知りました。
それと同時に、さも当然のように座るいとこ達が気を遣うことを知らないでいたら悲しいとも思ったのです。
でも、今考えると私が当時のいとこ達くらいの年齢だったら当然のように座っていただろう、と思うのです。
でも今は年上を敬わなければならないことを知っています。
尊敬すべき様々な大人を、私は知っているからです。
そんな大人達が居るから、私は大人を尊敬しています。
だから年上は大事にしています。(勿論年下も大事にしてますが)
「譲らない」と答えた生徒達はそんな大人に出会ったことがあるのでしょうか。
あと、譲らないと思ってる方。
一度電車でご老人を見かけたら席をすすめてみてください。
ありがとうと言って下さったらすごーく嬉しい気持ちになりますよ。
これは実践しなければ解らない気持ちですからね。
まあちょっと照れくさかったりしますが(笑)
いとこ達も物心つく年齢になってきましたが、今の彼らだったら譲るだろうと思っています。
(その前にいとこ達の住んでる地域は電車がないのですが/笑)
私は、一般席に座っている限り、相手が誰であろうと席を譲らないが、座っているのが優先席なら譲ります。
これは私が、「決めた(決まった)事は守る」のは社会の常識だと思っているけど、反面「決めた事以外はする必要がない」というヒネクレた考えを持っているからだと思います(「優先席は老人優先」というルールがある)。
「一般席の前で突っ立って席が空くのを待つ老人」と「老人が立っているのに当たり前のように優先席に座っている若者」は見ていて溜息が出てきます。
高齢者の方が立っていて、他に席が空いていなかったら必ず譲るようにはしてますが、今までお礼を言われた事はないです。
むしろ嫌な顔をされたりもします。
だから席を譲りたくない人の気持ちもわかります。
高齢者の方の中には、残念ながら傲慢な考え方の方が多いようですから。
「子供だから〜」の意見には、びっくりしました。
同じ世代で、そのような考え方を持った人がいると思うと恥ずかしいです。
あと、三年生が調査書を意識して『いい子』を演じている、という意見にも疑問です。こういったアンケートは無記名で行われるものだと思われるので、わざわざいい子を演じる理由がありません
授業でやってるアンケートですからね。母集団が小さいんです。字体で個人が推定されると考えても不思議はないでしょう。
この記事と前の記事を読ませていただきました。
で、知らなかったのですが『大きな荷物を持った人』は優遇される(とまではいかなくてもある程度同情の目でみられる)のですか?
私、今まで大きな荷物を持って電車に乗ることはいけないことだと思っておりました。
なぜかと言いますと、美術系の専門学校に通っていたころ、かさばる課題道具一式を持ち、
私はそんなに背も高くないので、重くて幅のある荷物を網棚に乗せることもできず、肩身が狭い思いで電車に乗っていたら、
目の前に座っているおばさんに、あんたこんな大きな荷物持って非常識だのなんだと散々なことを言われたことがあります。
だったらあんた網棚に乗せてみろと言いたかったのですが、そんなこと言って騒がれても嫌なので黙って耐えていました。
以来、大荷物のときは、きょろきょろと辺りを見渡し、
なるべくこそこそしています。
今回の話とはまったく関係ないですが気になったので書き込ませていただきます。
ついでに席を譲るか譲らないかの話をさせていただくと、
私、去年足を怪我して治癒に半年程かかりました。
結論を言わせていただくと
一度も席を譲っていただけたことは無いです
(ちなみに優先席の前)
なんか綺麗事書いてるなと思わざるをえません。
らくださんやひでおさんがおっしゃるように席を譲らない人は書き込まないだけなのでしょうか。
そして運良く席が空いていて優先席に座ったとき、
携帯使っている人が非常に多いのが気になります。
私は足を怪我しただけで席さえ空いていればどこでも座れるわけですが、
心臓を患っている人はそこが唯一の避難場所なわけですよね。
あふれかえる老人に対して非常にマイノリティな存在だと思いますが。
健常者が(席が空いている時に)優先席に座らせていただく為には携帯の電源を落とすことの方が
まずマナーであり優先することではないかと思います。
そういう意味では老人はどこから見ても老人なので
わかりやすくていいですよね。
なんだか方向性がずれた書き込みになってしまいました。申し訳ないです。
イギリスなどでは、子供が大人に席を譲るのが当然に躾けられている、という話を聞いたことがあります。
日本ではそういう習慣はありません。むしろ、今回の「子供なので〜」という意見を読むと、子供のほうが大目に見られる傾向があるのではないか──という懸念さえ抱きました。(この点、show さんのコメントも大変面白いです)
若者が老人を支えている現状とか、バスや電車に乗る老人は元気な人が多いなんて事実は、世界共通ですよ。「年長者には席を譲る」習慣も、そういう現実を理解したうえで、とかく対立しやすい世代間の関係を円滑にするための「ルール」作りとして考えるべきだと思います。
年長者には席を譲るという習慣は、イギリスのように「ルール」として徹底させていないと、「まだ子供なので譲らなくてもいい」とか「席を譲ったら嫌な顔をされるかも」などといった機能不全に陥ってしまうんではないでしょうか。
個人サイトのさりげない記事が、あっという間に管理人の手の届かないところまで膨れ上がり、取材申し込みや、教材使用へ展開していく部分に、非常に興味を持ちました。TBさせていただきました。
もうすぐお酒が飲める(笑)学生です。
僕の場合は譲るというか、お年寄りが乗ってきたらさりげなく席を立ってます。
(具合が悪くて立ってられないとか、そういう場合は別ですが。)
席を譲らない人の半分(?)くらいは
「譲りたいけど実行に移すのが恥ずかしい」という人じゃないでしょうか?
実際自分もそうなので。
半分冗談で、半分本気なんですが、こうなったら老人専用車両なんて設けてみたらどうでしょう?女性専用車両がある時代ですから、あとは「同じ車両の中で助け合ってくださいね♪」と。
なんか切ないけど、そうやって割り切るしかないかぁ、と思います。
「子供だから譲らない」という意見についてですが、確かに言葉だけを取ると「何だそれ!」となってしまうのですが、気になるのは、「なぜ、子供だと席を譲らなくてもよいと思ったのか? 何を基準に自分を子供といったのか?」です。
20歳にならなければ、参政権もない、酒もタバコも駄目。18歳未満にならば、結婚さえ自由に出来ない。親の庇護の下、義務と権利がない状態です。そういった状況下では、もともと義務でさえない「席を譲る」という行為は、「社会を構成する」大人がやるものであり、「まだ社会を構成する役割を担っていない」子供の立場では、それだけの必要がない、と考えているのかもしれません。
「高校生はもう子供じゃない」という意見もありそうですが、ここでは精神論でなく、社会的な意味での大人ですので、それは当てはまりません。
そして好意的に解釈すれば、もしかしたらその子は20を過ぎたら積極的に譲ろう、と考えているのかもしれません。そうなれば、単純に非難するわけにはいかなくなります。
それから、「子供は立つべき」という意見ですが、これも少し気になるところがあります。席を譲る、という行為は、弱者に対するいたわりだと思うのですが、通常、子供は弱者に含まれていると思います。この場合に限り、なぜ弱者というカテゴリから子供ははじき出されているのでしょうか。実際、同様の運動をしようとしたら、大人のほうが勝つはずです。ならば大人が立たなくてはならず、子供は弱者というカテゴリに入れて、席を譲る対象になります。
ただ、「目上の人には譲る」では、どんなに嫌な相手でも譲るという行為を優先する必要がありますが、そうではないと思われます。
もちろん、「常識的に」どういった行為が良いのかは何となく分かります。しかし、この辺りいまいちあいまいな部分が、マナーとしてきちんと確立しない原因ではないでしょうか。
長文失礼しました。
実際に喋ってみたらそれ程じゃなかった。
ちょっと気の利いた事を書いたつもりだったのに・・・
あとで見直してみたら恥ずかしかった。
だれしもそんな経験があるのではないでしょうか。
高校生が「子供だから席を譲らない」と書いてあるアンケートをみたら「クスッ」と笑って見逃してあげてください。
まさかとは思いますが、
全ての高校生が親のすねかじりで甘えてるとは思っていらっしゃいませんよね?
確かに定期券は半額ですけど、私は自分でアルバイトで稼いだお金で買っています。
友達には毎日のお昼代も自分で出している人すら居ます。定時制に通ってる人の中には自分で学費を出している人も居ます。
自分が高校生だからでしょうが、そのご意見は見てて悲しくなりました・・・。
納税者になるべく学業に励む者は納税者に劣るというご意見でよろしいのでしょうか・・・?
この記事とは関係無い話になってしまいました。
申し訳ありません。
まさかすべての高校生が親のすねかじりだと思っている訳ではありません。しかしイチハチさんがおっしゃる論点で行くと、大体の大人は、特に朝の混雑した列車にぎゅうぎゅうヅメの大人達は、通勤定期は会社が負担しているでしょうが労働の対価の一部です、つまり100%自腹ですよ。その意味では自腹で定期を買っている高校生と何も変わりません、ですが高校生は学割ですよね。同じ車両に対して払ってる額が違うのだから、その事を考えれば学生よりも弱っている大人を前にしたら自主的に「遠慮」して席を譲るぐらいが本当じゃないの?と私は思いますし自分が学生の頃はそうでしたよ。シルバーシートなんて近づけもしませんでした。
それとこれはやさぐれた大人の意見ですが、朝の満員電車の通学高校生達は何でも楽しい盛りなんでしょうけど、ぎゅうぎゅうにつめ合ってる大人達を尻目にいつもの場所をゆるりと確保して譲らない姿が目につきます。どんなに混んでいても、つめ合ってくれないのです。足下にでっかい荷物を置き、混んできてもおしゃべりに花咲かせて知らんぷりしてる。そんな姿を見せられたら「何の為にお前ら学割で優遇されてると思ってるの?」と哀しくなるのは大人達ですよ。。。
私はいつも疲れて寝ているので気づきようもありません
残業ばかりですし・・・言い訳ですがね
席譲られたいならシルバーシートに行けばいいし
年寄りってバスはただで乗れますよね?
私の住んでいるところは少なくとも
ただで乗れます。
何でただなんでしょうね?
席を譲らなかった人は年金だのどうの言ってたようですが
それを理由にするのは間違いであると思います
政治家や役人が自分のとき楽しようと思って作ったシステムですし
国民が馬鹿で政治家のやってることの裏まで理解できていないせいでもあります・・・
横道にそれましたが・・・
年をとってる人はもう仕事してるわけでも忙しいわけでも無いでしょうし
電車が空いてる時間に利用していただくのが良いと思いますし
年金もらってるんだからタクシーという手もありますね
結論として私としては寝てます(ぁ
起きていればその時しだいです(ぇ
妊婦さんとかなら席は譲る気はします
腰が曲がっているような年寄りなら譲るかも?
まぁそんなとこですかね?
昔話で年寄りの嫌いな殿様の難題を解決したおばあさんの話があるけれど、
これは「年寄りは経験豊富で若者を導いてくれるから大切にしよう」って教訓ですよね。
年寄りは尊敬すべき存在だから大切にしようっていうこと。
じゃあ、わがまま放題の尊敬できない年寄りはどうすればいいんだろう?
働く若者に寄生するだけで、感心できる教訓話のひとつもできない年寄りは大切にしてもらう資格があるのかな?
私は子供ができたとき、妻と約束しました。
「俺たちが年寄りになる頃には、年金も当てにできない。そのときもしこの子の負担になるようなら、二人で山に登ろう。子供のために夫婦一緒に死ねるなら幸せだよね。」
だから、山に遊びに行ってた年寄りの話は衝撃でしたね。
そんな年寄り尊敬しろって言われても困るなあ。
名古屋の地下鉄で思う事は、ラッシュ時に席に座ってるのはほとんど高校生です。
ドア付近ではグループの高校生が騒いでいて、私の体にぶつかってるのもお構いなし…ってゆう事が多いです。
私もこの前までマナー知らずの高校生だったのですが、大学生になったらマナーについて少し考えるようになりました。
高校生の時は精神的にまだ子供だったのかもしれません…
でも今はマナー悪い高校生が電車に乗ってると、正直ムカつきます。
車椅子の男性も並んで居た。
丁度エレベーターが来た頃、
そこに電車から降りてきたばあさん連中が掛け込んできて、
車椅子の男性も松葉杖の私も押しのけて乗ってしまい、私達は乗れず終い。
押しのけて掛け込める体力があるなら、エレベーターが使える筈だろう。
階段上れと言ってる訳じゃないんだから。
これに似た事が、「何度も」あるうちに、頭に来る事にも疲れ、嫌気がさしてタクシーで通勤するようになった。
だから譲らない・・と言う事は言わないけれど、
優遇されて当たり前と言う意識「のみ」で、
他人に気を使えない人が本当に多すぎる。
特に首都圏の年寄りは。
あつかましいにも程がある。
ちなみに、席を譲って頂いた方は、殆ど若い方でした。
高校生も居ましたよ。
以前、軽い風邪をひいていた時の仕事帰り、電車内で症状が悪化して気分が悪くなってしまった時がありました。
その時は今にも立ちくらみを起こしそうになってフラフラしながら、目の前に座りながら楽しそうにお喋りしている人たちに、内心「こっちは気分が悪いんだから譲りやがれ」と毒づいていましたが、多分見た目では判らなかったんでしょうね。
その時は次の駅のベンチで休憩したら回復したのでそのまま帰りましたが。
あと、一度だけお年寄りとおぼしき人に席を譲ろうとしたことがありました。
そのときは「次の駅で降りますから」との事で、結局私が座りっぱなしでした(確か、その通りに次の駅で降りられていたはず)。
まあ、ここで「是非に」と強引に譲るのも違う気がしますし、こういう断り方をしてもらえると、こちらも気まずい思いをせずに済みます。
「年寄り扱いするな!」と言われた場合は、「少なくとも私の方が若いですし」と満面の笑みで返してあげるのはどうでしょう?
(さらに怒られそうな気もしますが)
微妙にオフトピ&長文失礼しました。
しかーし! いくら若い人でもこんな譲られ方をされたらきっと頭にくるでしょう! 僕は、昨日電車に乗っていると、こんな事がありました。僕は座席に座っていたのですが、隣の席が空いたので、僕の前に座っていた若い女性が座席の脇に寄りかかって立っていた年配の(60代?)の女性にその席に座るように勧めたまでは良かったのですが、問題なのはその”言葉づかい”なんです。「ねーねー(と腕を突付いて)、席空いたからすわんなよ。」と思い切り”タメ口”。そして、その年配の女性が「どうもすいません。でも、もしよろしかったらお座りください。」と丁寧な口調で返答すると、その若い女は「いい、アタシ立ってられるから」とまた、偉そうな”タメ口”で返しました。正直殴ってやろうかと思いました(笑) 人に席を譲るのは良いけど、その際は同時に”言葉づかい”にも気をつけろ!って言いたいです。いくら”プラス”の行為をしたとしてもその”態度”が”マイナス”であれば、結果”マイナス”になってしまうんです。”プラス”×”マイナス”=”マイナス”と言う事をもっと意識してもらいたいもんですなぁ(苦笑)
しかし2年生と3年生の違いが興味深い。
まあガキであるばあるほどひねくれていることがかっこいいとでも思うってことかw
『「席を譲る事」コレは一種のボランティア。ボランティアの大原則は「自発的にする」』と書いている、まさにその通りだと思います。(先に書かれてしまった…。)
ついでに言うと、ボランティアや善意を強要すると、「宗教」になってしまうと思う。
らくださんの本文で例の男性が、老婦人たちに座らせてあげようとしていた訳だけど、その善意はいいものでも、他人に強要しようとした段階で、すでに失態だったのでは。しかも皮肉たらたらでは…。
ボランティアヤクザという表現もあるようです。実際、職場周辺で体験したことがあります。ボランティア行為なら、駐車違反だろうが迷惑行為だろうが、何をしても構わない。むしろ他人も自分の行為に協力して当然という思い込みが、せっかくの善意を台無しにしてしまう。
でも、思い込みといえば、この男性は高齢者なのだし、思い込みがあっても仕方がないのかも。
牛のよだれの駄文、平にご容赦を。。
というのは、家庭科の授業でお年寄りは私たち若者(私は20歳なのでその目線で語りますが。)よりも両足にそれぞれ10キロほどの錘をつけて歩いてるのと同じだとききました。
要は、若者よりお年寄りの方が疲れやすいということです。
いくら電車で嫌味言われたって、お年寄りは敬うべき。
だって、お年寄りだって本気で嫌味をゆってるとは思えない。
私たち若者は『席を譲ること』を大そうなことに捕らえすぎてると思う。ごく当たり前にできる人になってほしいな。
譲ったとき、たとえ『私は譲ってもらうほど年じゃない。』とか『あんたに譲ってもらいたくない。(40歳の例)』とか言われても、席を譲ることなんて、大事だけど人生のおまけというか、その行為自体にそんなこだわりなんて持たなくていいと思う。
自分だったらやってもらったら嬉しいなと思うことを、無意識的に出来るひとこそ、今の日本には必要なんじゃないかな。
日本はかわったなぁ。。。
20歳のゆうことちゃうけど。
みぃだって電車通で、毎日勉強・部活のつめつめのスケジュールで頭も体もボロボロじゃけぇ、席譲る前に爆睡しちゃってますけど・・・
席譲る人は日本の鏡じゃけど、ぜひ鼻にかけずしてほしい。お年よりは笑顔に素直なんだから。。。
寛大な心で。。。
立っているのが嫌なら、バスや電車に乗るな
今の老人は横暴で、自分の要求は何でも通ると勘違いしている
昔の老人は、周囲に迷惑をかけまいと、自ら姥捨山に逝ったものだが
老人のツケを若者が支払うという、今の年金制度で汚物どもを支えてやる必要はない
老人は汚物であることを自覚しろ!
文句があるなら電車にもバスにも乗るな!
それが嫌なら姥捨て山へ逝け!
後世に借金を残した無能な老人は後世に残す借金の反省をしていない
何が「敬老精神」だ、これから死ぬ屍の老人が生意気言うんじゃねえ!
文句があるならバスにも電車にも乗るな!
年金を若者から与えられている乞食老人の分際でガタガタ言うんじゃねえ!
乞食老人の分際で、敬老精神がないだの不平を言う老人は、とっとと姥捨山に逝きやがれ!
老人は姥捨山に逝くのが昔からの日本の伝統だ!
最近は、横暴な老人ばかり担った。今の老人は、年金を与えていただいている若者に感謝すらできない汚物だ!
これから死ぬ老人がガタガタ言うんじゃねぇ!
文句があるなら電車にもバスにも乗るな!
それが嫌なら姥捨て山へ逝け!
席の譲り合いの話からかなり話が飛躍しますが、今の10代〜40代。40代以降の世代の人達がいる中で再びこの国で広範囲に渡る大震災や戦争が起こったら…。
想像もつきませんが、想像すらつかないくらいに酷い有り様で怖くて考えたくもありません。
生まれてきた時代や経験によって考えや行動も変わってくると思います。
人間模様も…
席の譲り合いの様に、配給も底をつき自分の食べ物はあるが見るとよその人は一つも無くてお腹を空かせている。
その人を見て見ぬふりをして家庭を守るか、家族が居なければ自分を守るか。
自分から犠牲になってその人にあげられるか。
譲り合いの話からそんな考えが思い浮かびました。
自分が生きる事、生活をする事、家庭を守る事だけで精一杯な時代。
募金だってそう。
1円や10円なら助けたい!って思うけれど、千円となると深く考えてしまいます。 自分達が生きているだけで家族を支えているだけで精一杯な時代に、他の人の為に犠牲になってまでやる人はいるのか。自分の事や生活で一杯なんだよ! こっちがしてもらいたいくらいだ!
そう思う人も出てくると思います。
他の人が持っているのをねだる子供に親から言われた様に、言葉の意味をすり替えてよそはよそ。うちはうち。で考えるのか…。席の譲り合いだけで若者と高齢者がいがみ合っていたら、人間関係だけでそんな事態に怖くて目もあけられません。小さな子供なら自分が犠牲になっても食べ物をあげる。席を譲る人は若者から沢山いると思います。
今にも倒れそうな人や70代以降の女性なら若い男性でも食べ物や席を譲る人もいると思います。
最近の若い人。お年寄り。お互いが悪い意味で使い分けて壁を作っては避けていがみ合っていたら、この先が本当に怖く感じます。
私の子供が大きくなった時にはどんな時代やどんな心を持って歩むんだろう。日本が無くなってはいないか。心配です。壁を作って周りの事は知らない。震災や戦争の時に助ける人がいるか。助ける事が出来るのか。
さんざんひどい事をされて言われて恨みを持った人にでも助けるのか。
心配になってきます。
そんな願いです。
大げさだけど、本当に日本国が人間が壊れていきそうで心配です。
話についていけない。話が分からない。何を考えているのか分からない。最近の若者はこうだ。最近の若い子は常識も何も知らない。お年寄りは。中年は説教とか昔の話でうるさい。で世代事の壁を作っていって欲しくは無いです。
お互いに歩み寄って分かろうとして理解をしよう。話をしようとする事をして欲しい。
価値観や考え方が違うのもロボットでなくて人間です。
生まれてきた時代や環境。年代。土地や性格。みんなそれぞれ考え方から服装から違ってきます。
最近の子は…。や、ジジイやババアは…!と悪い意味で人をののしり、年代事に考えを区別をしようと押し付けようとせずに、時代の流れや世代のせいにしないで同じ人間として向き合っていって欲しいです。
区別をしないで、同じ人間として会話をしていって欲しいです。
この話題で若者と高齢者の会話を読んでそう考え、お互いのせいにしあい自分の主張だけを正当化して、悲しくなってきます。
譲っても断る方。
譲った方はせっかく勇気を出して譲ったのに。と思う方。
前に譲っても断られたからやめよう。 自分だって疲れてるんだ。と思う方。
勇気がない。何て言って譲ろう。
前に断られても、もうすぐでおりますから。とまた譲る方。何も言わずに席だけ立って譲る方。
いろんな人がいるんだなと感じました。
若い人で見た目は健康そうでも体内に病気を持っている。
体調が悪い。
それでも満員だから我慢をして立っている人。
譲りたくても譲れない人。譲れば良かったかなと後で悩む人。親切心で譲ったつもりが、おばあさんになったかなと逆におちこんで落ち込む方。
いろんな人が電車に乗っている事も考えさせられました。
老人が最近の若者の文句をエジプトの壁画に書いていたのは有名な話。
時代、人種を問わず、世代間のギャップを取り去るなんて無理です。
私は若い頃、人様以上に老人を大事に思う人間でした。
クタクタで始発を待っても席を譲る、道を聞かれたら無事に行けるかついて行くような。
今はしません。
周りから洗脳された、老人は大切にという意識を、経験によって変えました。
老人でも、心底軽蔑するような人があまりに多い。
今は困って見える人、大変そうな人という括りに変えました。
老人は老人で勝手に生きて行けばいい