ゴールデンウィーク前半を使ってコメントをあらためて読み返してみた。ひとつはっきりしているのは、若者が年金の話を持ち出さなかったら、私はこの話を書かなかったということ。ハイキング帰りの老人が嫌味を言い、それに若者が「ハイキングできるなら立てるだろ」と言い返しただけなら、たぶん『ワカゾーが逆切れしている』ぐらいにしか思わなかっただろうし、そんな話はほかでも聞いたことがあるように思う。それほど印象に残らなかったはずだ。
確かに電車の座席と年金は何の関係もない。若者は突拍子もないことを言ったのだが、だからこそ記憶に残った。年金問題が話題になったのは、江角マキコの話から未納三兄弟へとつながっていく昨年のこと。『この若者が2、3年前にいまと同じ立場にいたら、果たして年金の話なんて持ち出したんだろうか?』とか、『自分が彼ぐらいの年だったころは、給料から天引きされる年金保険料のことなんて一切関心がなく、年金のことなんて一瞬だって考えたこともなかった。時代は変わったなぁ』とか、「年金」が出てきたのをきっかけにいろいろと考えさせられた。
つまり、本来なら『ワカゾーの逆切れ』と思って反感を持ってもいいはずなのに、自分がそのワカゾーの言うことに耳を傾けて『ふ〜ん、そういわれてみれば…』などと思っていたわけで、その自分にびっくりしちゃったっていう単純な話を書いたつもりだった。
道徳観や倫理観など小難しい話を持ち出すつもりは毛頭なく、やろうとしてもそれだけの才覚はない(試みてもボロが出て恥をかくだけだ)。誰は何をすべきだと断じるつもりもなく、「どちらが正しいと思いますか?」とか「さぁ、みんなで裁きましょう!」呼びかけたわけでもない。どんどん増えていくコメントを読みながら、正直いってきつねにつままれたような気分だった。というわけで、600あまりのコメントを読んで感じたのは「元記事を書いた私が一番ズレてる」ってこと。私らしいといえばそれまでなんだけど。
ところで、外見では分からない社会的弱者のかたから寄せられたコメントが私の予想以上に多かった。最初のほうに書き込まれたこともあり、心臓を患っているというみさんの体験談が特に印象に残っている。私はどこかで彼女と同じ乗り物に居合わせ、彼女に冷たい視線を送っていたかもしれない。これからはそんなことをしないと断言できる自信もない。それでも彼女のような人がいるってことは、ずっと頭の片隅で覚えているだろう。
(元記事の追記欄を上記のエントリーと同一内容に全文差し替えしました)
若者の逆切れが間違いか?といわれると決して間違いではないと思う(答えはわからないけど。)。
でも外見ではわからない場合ってままあるわけで、言い方とか気をつければ誰でも普通に譲りますね。そのときが来ないとわからないですもん。
年金の話題ですが嫌味言われてる間中、反論を練りに練って吐き出した言葉だったんじゃないかな。いろいろつなげて。
でも680以上のコメントすごいですね。
テレビとか、マスコミはハッピーなことは取り上げませんから、どうしても悲観的になりがちではないですか?
席を譲る、譲らないって、些細なことだけど、多くの人の日常なんですね。
(^^)らくださんを見つけられたのは、私にとってはラッキーです〜。
では、又〜
でもそのおかげで面白いらくださんのブログを見つけられたので、上の方のように感謝しています。(ああ、これもコメント自己増殖の法則ですね・・・。)
決して老人ではないと思います。
うーん。老人の嫌味はえげつないけど、
この若者は間違っていると思う。
はっきり言って見苦しい!
老人の姿が見えたら言われる前に譲るのが若さだろ。
そんな身の軽さの無い奴の将来は見えてるね。
確かに正論の部分もあるけれど、正論は時として人を傷つけ、人間の可能性を狭くすると思う。
この若者は、この年にして電車の中の席と自分の年金のことしか頭に無い狭い人間だ。
気付いているだろうか、こんな反論を言った瞬間にこの若者も、この嫌味な老人と同種の人間に落ちぶれたって事を・・・・・
ちょっとした病気にかかってるので電車で立つのは相当辛く
席に座れないとよく倒れ駅員さんによく助けられてました。
その若者の理由はともかく、こういう嫌味を言われたら凄い不快ですよね
人にはそれぞれ事情があるのに「若いから」と決め付けるなんて心が狭いんだなと感じました。
年金の話を出されて「ほぅ」と一瞬は思っても、「じゃあ税金の問題は?」「少子化問題の根源は?」など、国家における負担と享受の仕組みは単純じゃないのでわからないです。考えるきっかけになったことは良いことだと思います。
そして、もっとそれ以前の問題として、
”おとなとして当たり前だけど大切なこと”が、自分中心思考の中に埋まって見えなくなっていると感じます。
JRの事故車両に社員が乗っていたのに救助しなかったという件についての運転士の主張、労組の主張、などを聞いていてもそう感じます。今できる最善のことはなにか、自分の五感をフルに働かせて”普通に”考える能力が衰えていますよね。
先日”壊れかけている日本人”とありましたが、本当に壊れかけている、と感じると共に、自戒の念を持ちました。
関係ないですましていい問題なのかと思うけど。
老人や若者っていったって元気な老人だっているし弱体な若者だっているのにね。
誰しもそれぞれ事情があって「若者」「老人」とか一括りで考える事自体、先入観です。
老人の言葉の暴力に対して屁理屈をぶつけた若者という形ですが、若者・老人お互いに相手を思いやる気持ちが足らなかったのだと思います。