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2005年04月24日

席を譲らなかった若者

 「お年寄りを大切にしよう」なんていうのは昭和のキレイごとなのか。きのうは社会と自分の意識の変化に気づかされる小さな事件があった。

 電車の座席はほぼ埋まり、車内には立っている人がちらほらいる程度。私の向かい側座席の前には男性1人、女性2人のハイキング帰りらしい高齢者が立っていた。私に背中を向けているから時たま見える横顔で判断するしかないが、60代半ばぐらいか。彼らの目の前の座席には若者2人と50代ぐらいの女性1人が座っている。若者は2人とも茶髪、1人はサングラスをしていた。

 この人たちに気づいたのは、この高齢者組の男性が「最近の若い者は年寄りを立たせても平気なんだから」「ちょっと前は罪悪感からか寝たふりをしたもんだが、最近じゃ寝たフリもしないからふてぶてしい」などと、かなり大きな声で話しているのが耳に入ってきたからだ。どうも自分の前にいる若者に席を譲らせて女性2人を座らせたかったらしい。

 ここまで嫌味っぽく言われると、まったく関係ない第三者の私だってちょっと気分が悪い。すっかり眠気が覚めてしまった。反対側にいる私が席を譲れば、もう1人ぐらい誰か立ってくれるだろうと思って腰を浮かせかかった瞬間、サングラスの若者が口を開いた。

 「あんたたちさぁ、山は歩けるのに電車では立てないの? それっておかしくない? 遊んできたんだろ? こっちはこれから仕事に行くところなんだよ。だいたいさぁ、俺みたいなヤツが土曜日も働いてあんたたちの年金を作ってやってるんだって分かってる? 俺があんたみたいなジジイになったら年金なんてもらえなくて、優雅に山登りなんてやっていられないんだよ。とにかく座りたかったらシルバーシートに行けよ」

 細部の表現は覚えていないながら、こんな感じ。チャラチャラしているように見える若者の意外な発言に正直言ってビックリ仰天した。「お年寄りに席を譲りましょう」とか「お年寄りを大切にしましょう」などというキレイごとを聞いて育ってきた世代の私にしても、彼の言っていることは正論に聞こえた。あたしって壊れてきているのかな? 浮かせかかった腰を再び降ろしちゃったよ。3人の高齢者は凍りついたように黙りこくり、次の駅で降りていった。ほかの車両に乗り換えたのかもしれない。

 なんつ〜か、世代間の断絶というか格差を思い知らされたな。そういえばいま一番元気でお金を持っているのってシルバー世代なんだよね。戦後の復興と日本経済の躍進を引っ張ってきた彼らが「よく働いたんだからゆっくり楽しもう」「若い人から尊敬されて当たり前」と思っているのも理解できる。

 一方、若者世代ときたら、自分の納めた年金保険料は自分のための積み立てじゃなく、いま現在支給されている年金の原資。自分が受け取る年金なんてこの少子化社会で支えられるはずないって分かっている。消費税だって時期はともかく2ケタになるのは必至。これまでのような高度成長も望めない。将来に悲観的になるのもムリはない。そんな世代のハザマにコウモリみたいな私の世代がいるってワケか。

 政治家は「ニート対策」とか口先では言うけれど、この若者を納得させられるような説明ができるのだろうか? なるほど若者の勤労意欲が低下するのも無理ないな〜と思った次第。自分が子供だったころとは社会がずいぶん変わってきていることを実感した。

【追記】 4月24日にこのエントリーを書いてから1週間あまり。本当にたくさんのアクセス、コメント、トラックバックをいただいた。コメントは600件を超え(二重投稿の削除に失敗するのが怖くてまだそのままにしてある)、「ひとりごと」のつもりだったのが「600人ごと」になった。

 ゴールデンウィーク前半を使ってコメントをあらためて読み返してみた。ひとつはっきりしているのは、若者が年金の話を持ち出さなかったら、私はこの話を書かなかったということ。ハイキング帰りの老人が嫌味を言い、それに若者が「ハイキングできるなら立てるだろ」と言い返しただけなら、たぶん『ワカゾーが逆切れしている』ぐらいにしか思わなかっただろうし、そんな話はほかでも聞いたことがあるように思う。それほど印象に残らなかったはずだ。

 確かに電車の座席と年金は何の関係もない。若者は突拍子もないことを言ったのだが、だからこそ記憶に残った。年金問題が話題になったのは、江角マキコの話から未納三兄弟へとつながっていく昨年のこと。『この若者が2、3年前にいまと同じ立場にいたら、果たして年金の話なんて持ち出したんだろうか?』とか、『自分が彼ぐらいの年だったころは、給料から天引きされる年金保険料のことなんて一切関心がなく、年金のことなんて一瞬だって考えたこともなかった。時代は変わったなぁ』とか、「年金」が出てきたのをきっかけにいろいろと考えさせられた。

 つまり、本来なら『ワカゾーの逆切れ』と思って反感を持ってもいいはずなのに、自分がそのワカゾーの言うことに耳を傾けて『ふ〜ん、そういわれてみれば…』などと思っていたわけで、その自分にびっくりしちゃったっていう単純な話を書いたつもりだった。

 道徳観や倫理観など小難しい話を持ち出すつもりは毛頭なく、やろうとしてもそれだけの才覚はない(試みてもボロが出て恥をかくだけだ)。誰は何をすべきだと断じるつもりもなく、「どちらが正しいと思いますか?」とか「さぁ、みんなで裁きましょう!」呼びかけたわけでもない。どんどん増えていくコメントを読みながら、正直いってきつねにつままれたような気分だった。というわけで、600あまりのコメントを読んで感じたのは「元記事を書いた私が一番ズレてる」ってこと。私らしいといえばそれまでなんだけど。

 ところで、外見では分からない社会的弱者のかたから寄せられたコメントが私の予想以上に多かった。最初のほうに書き込まれたこともあり、心臓を患っているというみさんの体験談が特に印象に残っている。私はどこかで彼女と同じ乗り物に居合わせ、彼女に冷たい視線を送っていたかもしれない。これからはそんなことをしないと断言できる自信もない。それでも彼女のような人がいるってことは、ずっと頭の片隅で覚えているだろう。(5月2日午後11時20分全文差し替え=この追記の内容は5月2日のエントリーと同一内容です)

【関連エントリー】
雑誌取材を断った(5月8日)
譲る年齢、譲られる年齢(5月30日)


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posted by らくだ at 15:22 | 東京 ☀ | 日記

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