2004年06月11日

成人として裁かれる13歳の殺人容疑者

 米シアトル・タイムズで、遊び仲間を殺した容疑で裁判が進められている13歳の少年の記事を見付けた。名前も顔写真も出ているけど興味本位じゃない。この少年(以下ジェイク)が少年ではなく成人として裁かれていることの是非を問う記事になっている。

 ジェイクのIQは83。人々という単語(people)をpepellとつづるなど、学習能力には問題がある。読み書きの能力は3年生程度。自分の裁判で「何が話されているのかほとんど理解できない」というのも無理はない。ジェイクは事件が起きた2003年2月(当時12歳)まで、問題行動を起こしたことはなかった。

 ジェイクと共犯とされる少年はともに容疑を否認。悪質とみなされ、ことしの3月に少年ではなく成人として裁かれることが決まった。少年2人の弁護士は「ワシントン州の少年と青年の分離司法制度の非常に基本的な部分が脅かされている」として、少年審判を求めている。これに対し、判事は少年審判で裁かれて釈放された場合に少年らが再び罪を犯さない保証を要求。少年を対象とした司法制度の元では彼らの更生には期待できず、成人向け刑務所での長期服役が公共の安全を保証するとしている。

 有罪だった場合、少年として裁かれれば21歳で釈放、成人なら刑期は短くても20年になるそうだ。エライ違いだな。これから少年審判に差し戻しなんて可能性はあるんだろうか。

 米ワシントン州で1987年以降に成人として起訴されて有罪になった14歳以下の少年は13人もいる。なかには88年の強盗殺人の罪で保釈なしの終身刑を言い渡された13歳の少年もいる。こうしてみると、成人としての扱いはまったく犯罪抑止力になっていないってことか。それとも、抑止力が働いて13人で済んでいるのか。

 個々のケースで少年か成人かを判断しているのだから、その時によってブレも出てきそうだ。少なくとも私には12、3歳の少年を1人前の成人として裁くことは想像できない。日本でもさらに少年犯罪が増えたら、アメリカを見習おうっていう空気が広がるんだろうか?

 この記事を読んで、プライバシーについても考えさせられた。この記事、ジェイクのフルネームと顔写真、親の名前も出していながら淡々としている。英語だから分かりにくくて日本語ほど直接的に伝わってこないてのもあるかもしれない。事件当時はもっとセンセーショナルに伝えられたんだろう。それでも、最近の佐世保の小6殺人事件報道に辟易している身には新鮮だった。

 例の佐世保の事件では、直後から犯人がホームページに載せた詩や交換日記の内容、イラストまでテレビや新聞で晒されている。あれって本名で公開してたわけじゃないでしょ。それにホームページはまだしも、日記の内容なんてプライバシーそのものだ。あんなに大々的に晒す必要はあるんだろうか? 大人たちが真面目な顔で「加害女児が交換日記に描いたイラストの移り変わり」などを論じているのを見て、なんか違和感を覚えた。名前と顔写真を出さなければ何をやってもいいの?「公共の利益」の前には著作権なんて無意味ってことか。
posted by らくだ at 23:02 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 国際ニュース | 更新情報をチェックする
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