日本赤十字社のサイトには4月4日付で「義援金の配分について」というページがアップされていて、「義援金配分委員会の早期設置を要望しています」とのこと。要するに委員会が設置されておらず、義援金が被災者の手に渡るのはまだまだ時間がかかりそうだ。それを考えて他のところに義援金を出すべきだったんだろうか。
いつもなら、赤十字に義援金を出せばそれがまるまる被災者に渡って中間コストに充てられないということで安心感があった。今回は従来とは比べ物にならない被害の大きさのため、なかなか義援金が分配できないというのは皮肉な話だ。末端の募金者である私がジタバタしてもしょうがないと分かってはいるけれど、それにしてもじれったい。
amazonで購入した復興支援のための壁紙も確か代金は赤十字に回るということだったので、直接出した義援金と同じことだろう。自分にできることをわずかながらやっているつもりなのに、これまでのところまるで役に立っていないようで何だか心苦しい。
好意的に考えると、買い占めに動いた人たちだって「頑張れニッポン」とか「頑張ろうニッポン」とか言われても何をどう頑張っていいのか分からず、つい「買い占めを頑張ってしまった」のかもしれない。ふと、そんな風に思った。我が家の周辺では水以外の買い占めは一段落した様子。それとも物流と生産が復活してきたのか、パン、牛乳、納豆の順に手に入るようになり、きのうは震災後初めてヨーグルトを買うことができた。
ちょっと前にやってたCMで「あなたのためだから」って、友人や上司にいいようにされてしまうのがありましたよね。
あれはやり過ぎですが、人のためって、実際には、受け側の人が「ため」であったか、なかったかを決めると思うんです。
だから私は、いつも「自分のため」って、考えてます。
相手がきっと喜んでくれただろう、という自己満足のため、です。
本当はありがた迷惑だったかもしれませんが、それは知る由も無いので。
またこれもやり過ぎると「親切の押し売り」になってしまうのでしょうが。
ホント、難しいですね。
自分にできることをやるしかないと分かってはいるものの、どうも空回りしているように思えて、「人間として何十年も生きてきたのに、ここまで役立たずだったのか…」と新発見しました。
私が求めているのは結局のところ「自己満足」なのかもしれません。
少なくとも自分が満足しないと他人を満足させるなんてのはありえないと思ってます。
その自分の満足レベルが崇高であれば、決して悪いものではないのではないかと。
らくださんの崇高な志、敬服いたします。
どうもありがとうございます。自分の感覚には「自己満足」って言葉がピタリとはまります。
冷静沈着なな夫には「募金だなんだってなんでそんなに騒ぎ回っているの?」と言われてしまいました。そう言われてみれば浮き足立っているかも。
長期間に渡る復興支援が必要なのは分かりきっているので、ジタバタしていないでもっと落ち着かないといけませんね。