2010年03月13日

ロウさんとモーナルーダオ

 台湾に来るたびに善意の借り(?)が増えていく。昨日お世話になったのは温泉民宿の主人ロウさんだ。といってもロウさんの宿に泊まったわけじゃない。温泉への道を尋ねただけだ。

 私が中国語の資料を持っていたせいか、挨拶と筆談の段階では北京語を話せない香港人だと思われたみたい。「ホンコン?」と尋ねられてしまった。台湾語で「私は日本人です」と言ったら、ビックリしながらも日本語に切り替えてくれた。といってもロウさんは64歳だから学校教育で日本語を習ったわけじゃない。両親が家で日本語を話していたのを聞いてわずかに覚えているのだそう。

 私の目指していた温泉は温度が下がってしまったけれど、行けないことはないという。15分で行けるというので、道を教えてもらって歩き出す。昨年の台風の爪あとはすさまじく、道が途中で途切れて急斜面のガレ場になっているところもあった。

 しばらくしてロウさんが様子を見に来てくれた。1人で出かけていったので心配になったという。ロウさんと一緒に戻り、チェックアウト前の女性客3人と一緒にフルーツやお茶などをご馳走になった。

 フルーツをいただきながら「昨日モーナルーダオの墓参りをしてきたんです」と話したら、一同は悪い冗談だと思ったらしい。一気に静まり返って気まずい雰囲気になった。

 無理もない。モーナルーダオというのは1930年に日本の統治に対する反乱を起こして何百人もの日本人を虐殺した首謀者だから。当然ながら日本はモーナルーダオとその一味に報復をして虐殺した。台湾の人々にとってモーナルーダオは祖国のために命をささげた英雄であり、学校教育でも必ず教えられるそうだ。

 日本人がそんな人の墓参りをするってことが信じられなかったみたいだ。お客さんの1人に「あなたモーナルーダオが何をしたか知っているの?」と厳しい口調で聞かれた。「もちろん知っています。10年以上前に本で読みました」と答えたら、みんなで顔を見合わせている。

 女性客たちは日本語も英語もほとんど話さないので筆談も交えて説明する。台湾に来るたびに台湾人に親切にしてもらっていること、そのなかには日本の教育を受けた戦中派の人も少なくないこと、日本の植民地統治に対してものすごく好意的な人もいるけれど自分はもっと客観的でありたいこと−−などを伝えた。モーナルーダオの墓参りをして感じたのは、過去の歴史を変えるのは絶対にできないけれど、未来の友好関係は自分たち次第だということだと説明したら、皆さんすごく納得してくれた。

 フルーツをいただいたお礼に、たまたま持参していた柿ピーの小袋をロウさんに渡す。ロウさんは黙ったままじ〜っと袋を見つめていたが、しばらくして「これ、ラッカセイ、ラッカセイだ!」と口を開いた。何十年かぶりに落花生という日本語を思い出したのだ。両親の思い出も一緒によみがえったのか、ロウさんは本当に嬉しそうな顔をしていた。

 「そろそろバスの時間なので行かなくちゃ…」と挨拶したら、ロウさんが車で送ってくれると言い出した。しかも、前夜泊まった宿まで荷物を取りに行ってから、その逆方向にあたる目的地まで連れて行ってくれるという(バスで折り返すつもりだった)。結局30キロ以上の道のりをロウさんの軽トラに乗せてもらった。

 目的地の町近くでガソリンスタンドを見つけ「ロウさん、ガソリン満タンに入ってますか? あそこで入れましょう。ガソリン代くらい払わせてください」と言ったのに、「心配いいよ」と笑って断られちゃった。持参した日本の絵葉書をあげ、ロウさんとのツーショット写真を送る約束をして住所を聞いてきた。

 後になって気づいた。ロウさんは温泉民宿を経営しているってのに、私はまったくお金を使っていない。せめてお金を払って泡湯(温泉入浴)くらいさせてもらえばよかった。いつもながら台湾の人たちの好意にどっぷり浸かりすぎていることを、ちょっと反省しないといけない。
   
タグ:台湾
posted by らくだ at 22:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅日記ほか旅関連 | 更新情報をチェックする
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