一年前のきょうもよく晴れていたけれど、風はもっと冷たかった。今年は朝方まで雨が降ったせいか小春日和の穏やかな一日だった。なんで去年の天気を覚えているかっていうと、きょうは父の命日だからだ。一周忌だ。
かなり忙しい時期でお尻に火が付き始めているのだが、今日だけは逃せないと早起きして墓参りに出かけた。墓地に着いてから紅葉のピークだってことに気付いた。納骨は冷たい雨の降る2月だったので、父がそんな時期に逝ったなんてことは全然気にしていなかった。
私が物ごころついた時から父は毎晩、大瓶のキリンビールを飲んでいた。タカラ缶チューハイもカートンで買ってあったから好きだったみたいだ。で、両方持って行こうと思ったのだが、近所のコンビニではキリンの瓶ビールに相当する缶ビールがなかったので「一番搾り」を買った。墓地の近くのコンビニでタカラの缶チューハイ(ミニ缶しかなかった)を買って持って行った。
墓石にかけてあげたら、墓石に刻んだ文字に泡がたまって読めないほど白くなるし、辺りにアルコールの匂いは漂うし、ちょっと慌てた。一緒の墓に入っているジイちゃん、バアちゃん、叔父さんには迷惑だったか…。
父が逝ってからの1年間で、父は意外なところで意外な人に愛されていたことを何回か実感した。私はどちらかといえば「死んだらそれで終わりじゃん」という不義理な考えの持ち主。それなのに、律義にも「お父さんにはお世話になったから」と訪ねて来てくれる人、心のこもった手紙をくれる人がいて、徳の高い友人を持った父は幸せな人間なのだとしみじみ思った。今にしてみれば、父自身にも人徳があったのかもしれない。
それまで考えたこともなく、おおよそ自分とは無縁の「人徳」だの「徳を積む」などの言葉の意味が、この1年間で少し分かったような気がする。年をとるっていうのはそういうことなのだ。
反発し続けた母の元から去ることばかりを考えてきました。
そして永遠に届かなくなって10数年、自分が幼い頃よく耳にした母の思考を
自分の中に見つけ原点として潜んでいたことに気づき、
今更ながら大きさを感じています。
私はこの歳にしてようやく、自分の家庭が友人たちのとはかなり違っていたのだということに気づきました。子供のときに漠然と感じていた疑問の雲が今になって晴れてきたというか…。その一方で、ふと『血のつながりって何なんだろう?』と考えることが増えました。