2004年04月30日

イタリアに社会の成熟を感じた

 イタリアって余裕があるな。例のイラク人質事件についてだ。4月12日に人質になった4人のうち1人は殺害され、3人もまだ解放されていない。現地ではもちろん一大ニュースになっているようだけど、対応に日本との格差を感じた。

 先日のニュースによると、イタリア人を誘拐した犯人グループは、人質を殺さない条件としてイタリア軍のイラク撤退を求めるデモをイタリア国民に要求したとか。これまではイタリア軍の撤退そのものを求めていたのだから、犯人側としてはかなりの譲歩なんだろう。しかしデモで犯人側が得るものってあるんだろうか。気分的な満足感? ちょっと間抜けな要求に思える。そういえば犯人グループの名前も「緑の旅団」とかいうらしい。本家本元の「赤い旅団」に対抗しているのかな? 

 人質は解放してもらいたいし、犯人側の要求を聞き入れてデモをするのもちょっとねぇと思いながら注目していたら、29日にローマでデモがあったそうだ(アルジャジーラのAFP電)。推定3000人の参加者は、デモが政治的になるのを避けてただ人質の解放のみを求め、静かに行進したという。こんな手があったのか。社会が成熟しているなぁ。ちょっと前に読んだ新聞では、イタリアの世論調査でイラク撤退を支持する声が圧倒的に多いと出ていたのに、やっぱり犯罪者のいいなりにはならないということなんだろうな。

 イタリアの人質3人が無事に開放されることを強く願う。解放の条件がデモというぐらいだったら、1人を殺す必要なんてあったのだろうか。場当たり的な感じだ。犯人グループには激しい憤りを覚える。

 もし日本とイタリアが逆の立場だったらどうなっていたことやら。人質が全員無事に帰ってきてもこれだけの騒ぎになっているんだから、今よりもさらに数段階トーンを上げた加熱報道合戦が繰り広げられていたに違いない。

 自衛隊のイラク派遣が決まったとき、以前の日記に「『戦後』という一言で片付けられてきた時代が終わった」ということを書いた。新しい時代に入った途端に「アメリカ連合の一角」とみなされて事件が起きた。その事実にみんなが戸惑い浮き足立っておろおろしちゃい、多くの人が心の余裕をなくしているような気がする。
posted by らくだ at 23:57 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 国際ニュース | 更新情報をチェックする
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