歩行者1人が必要とするスペースは、あれを持っているだけでかなり広くなる。例えば、エスカレーターに乗る時だって1段じゃすまない。自分と荷物用に2段必要だ。あるいは自分の脇に置けるかもしれないが、歩いて上る人の邪魔になってしまう。正直言って混雑している場所では邪魔以外の何物でもない。駅のコンコース等で他人の転がすバッグにつまづきそうになったことは何回もある。
バッグを転がして持ち運びしながら、自分の使っているスペースが後ろに伸びているってことに気づいていない人も多いみたい。目の前で急に曲がって私のつま先をバッグで轢いて行った人もいる(私がトロいのか?)。
昨日も池袋の地下道でバッグを転がしながら老女の前を横切った女性がいて、老女は足をすくわれて転びそうになった。思わず「あっ、危ない!」と声が出た。幸いにして老女はよろめいたところを通りがかった男性に支えられ、大事には至らなかった。カバンの持ち主も「あっ、すみません、大丈夫ですか?」と老女に謝っていたのでホッとした。
荷物が多い時にはああいうバッグが便利だってことは十分理解できる。だから「持つな」というつもりはない。でも、あれを持っている時は自分の体の奥行きが数倍になっていることだけは自覚してほしい。あれを転がしている人は太い尻尾が生えているのと同じだ。
あるいはコンパクトカーを運転しているつもりでも実際はアメリカ映画に出てくる細長いリムジンを運転しているようなもの。どちらを運転しているにしてもF1パイロット(ドライバー)じゃないんだから、コーナーを攻める必要はない。
ちなみに自分もキャリーケースを持っているのだが出張で1回使っただけ。今は季節外れの服をしまう茶箱代りになっている。
千葉で小学校教員をしていますmiyaです。
お願いがあってメールをさせていただきました。「席を譲らなかった若者」を道徳の学習で使わせていただきたいのです。思いやりとは何かを考える授業で,子供たちに席を譲るか,譲らないかの話し合いを通して考えさせたいと思います。
突然のお願いで申し訳ありません。よろしくお願いいたします。
初めまして。「席を譲らなかった若者」はこれまで小学校からアメリカの大学院の日本語クラスまであちこちで教材として使われました。どうぞご自由にお使いください。
ただ、私は車内のマナーとか思いやりについて書いたつもりは一切なく、私の気付かぬま間に世代間の断絶がここまで進んでいたのかと感じたという、ただそれだけを書きたかったのです。