2006年02月10日

晒しと癒し

 ここ2日間ほど書こうか書くまいか迷っていた。やっぱり書いてみることにする。イラクで人質になった今井紀明さんのことというか、彼のブログについてだ。

 数日前、友人から今井さんのブログ「今井紀明の日常と考え事」の存在を教えてもらった。当然のことながら、あちこちで話題になっているらしく、たくさんのコメントが寄せられている。

 私はまず、彼が実名とメールアドレスを出してブログを始めていたことに驚いた。2年近くたったとはいえ、高校を出るか出ないかの若さであれほどバッシングされた人だ。私だったら、実名を出してブログを書くなんて怖くてとてもできない。今だって他人の関心など全く寄せられないにも関わらず、実名を出す勇気なんてさらさらない(メールアドレスだけは公開しているけどね)。そういう意味で彼の勇気には素直に感心した。

 でも、理解も同意もできないこともある。それは今井さんのもうひとつのブログ「向き合いの中から生まれるもの、それは対話 」で、人質事件のころに今井さんと家族に届いた匿名の手紙を公開していることだ(このブログは直接閲覧するのは難しいので、doblogトップページのランキング経由で飛ぶとアクセスできる)。

【追記】昨日、これを書いた時点で今井さんのブログにトラックバックを送ったつもりだったのだが、失敗していたので1日送れて再送付した。
 本人が「手紙」と書いているのでメールではなくて郵便で届いたものなのだろうか。ざっと読んでみた。中には真面目な物もあったが、誹謗中傷目的みたいなものが多かった。今井さんは手紙を公開した意図をきょうになってから説明しているのだが、それでも私にはよく分からない。

 まず、たとえ匿名とはいえ私信の全文をネット上に転載するという行為だ。匿名で送られたものに著作権などあるはずもなく、法律上は何の問題もないとは思うのだが、私には抵抗がある。メールや郵便で届いたものなら、相手だってあて先を調べるなど何らかの手間をかけているわけで、そうしてまで自分に届けようとしたメッセージを自分の一存で転載する気にはなれない。

 今井さんの目的もはっきりしない。彼は「純粋に見てもらいたかった」と書いているが、結局のところ「自分はこんなひどい目に遭ったんだ。みてみて、ね、ひどいでしょう?」と共感を求めているように感じてしまう。あるいは復讐として「晒しもの」にしているっていうか…。

 私にとってこうして駄文を書くことは「癒し」であり、「デトックス(毒素排出)」でもある。彼にとってこの行為は「癒し」なのだろうか。本人は「毒素排出」のつもりでも他人には「毒吐き」と受け止められる危険性を感じる。

 私の受け止め方がひねくれているのかもしれないが、転載された手紙を読んでも不快感しか覚えない。今井さんが対話を求めているのはよく分かった。生真面目さも伝わってくる。それでも、このままではもともと彼に反感を持っている人が対話に乗り出してくるとは思えないし、前向きな取り組みとも感じられないのだ。

 今井さんの職業はジャーナリストとかライターだと伝えられている。プロの書き手ならば、自分に向けられたメッセージを自分の中で消化し、それを自分の言葉で文章として昇華させるべきではないのだろうか。それを公開するところから対話が始まるような気がする。

 ここで最初に戻る。今井さんのブログについて書くのを躊躇していたのは、こんなことを書いて彼のブログにリンクを張るってことは、結局のところ私なりに彼を晒しものにするのと同じではないかと考えたからだ。自分の意地悪さを自覚しつつ、一歩踏み出してみる。

【関連バックナンバー】
2種類の怒りに戸惑い(2004年4月16日)
posted by らくだ at 23:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | Web&ブログ | 更新情報をチェックする
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