このニュースについては恐ろしいほどの関心というかエネルギーというか怒りを感じていた。乱暴に分類すると、2種類の怒りがあったように思う。
まず、「そんな危ないところにノコノコ行くなんてバカ、自業自得だ」という被害者に向けた怒り。この怒りときたら、私の理解を超える強さだった。怒りは当然ながら被害者の家族にも向けられた。「事件は3人の自作自演」という声もあると聞いたときは、「私なんて単純だから拉致されたってニュースをみれば素直に信じちゃうのに、想像力の豊かな人もいるもんだなぁ」と感心したぐらいだ。そしたら今週号の週刊新潮にも自作自演説が出ていた。かなり一般的な見方だったのかもしれない。
そしてもう1つは「政府が自衛隊を派遣するからこんなことになるんだ。自衛隊を即時撤退して人命を助けよ」という政府に向けた怒り。ただし、こっちの勢いは前者に負けていた。被害者の家族が最初に見せたこの怒りは、何日かで見事なまでにしぼんでいった。
各種報道を見ている限りほとんど感じられなかったのが、犯人に向けての怒りだ。考えてみるととても不思議だし、違和感がある。サラヤ・ムジャヒディンてこれまで知られていなかったグループらしいし、実態がよく分からないのが犯人には幸いしたのかもしれない。それにしても「被害者憎んで加害者憎まず」みたいな動きは諸外国の人質にもあてはまるんだろうか?
私は2種類の怒りの狭間にいた。もともと自衛隊の派遣には反対していたけど、行ったからには1人も死なないでほしい、イラク人民のために尽くしてほしいと思ったし、着任した人がアラビア語で挨拶しているのを見て「お、いいぞ」と思ったのも事実。今回は「犯罪者の要求に応じて撤退するのには反対」だと思っていた。とはいえ数日前と意見は変わっていない。背景はどうあれ自衛隊は人道支援をしている。それが感謝どころか憎悪の対象になったり撤退を求めるデモを起こされたりしてはねぇ。イラク人の総意として自衛隊が必要とされているのか疑問だ。
3人についても避難勧告の出ている国に自ら乗り込んでいったのだから自己責任といわれてもしょうがない。この「自己責任」という言葉にちょっと厳しさのスパイスをふりかければ「自業自得」になるんじゃないのかな。私はどちらの怒りも共有できず、仲間はずれのコウモリになった気分で3人の無事を祈っていた。
そして新たに2人の同胞が捕まったとの報道がある。犯人はサラヤ・ムジャヒディンじゃないそうだし、犯行声明を含め新しい情報がまったく入ってこないらしい。政治的な意図がなくて単なる物盗りだったりしたら3人のケースよりもヤバイかもしれない。心配だ。1日も早く無事に解放されることを願いたい。そして米国の占領統治下のイラクで自衛隊が活動することの意味をもう一度考え直す必要があるように思う。
seesaaのホームから来ました。
「2種類の怒りに戸惑い」まとめられていて読みやすかったです。
個人的には最初は政府に対する怒りを感じ,最近では被害者に対する怒りを感じていました。この感じていたというのは客観的にと言う意味で,ニュースやメール,ネットから感じ取ったものです。
犯人に対する怒り,最もですね。私も忘れていました。本来ならこれが先行するはずですよね。なぜこのような方向に進んでしまったのか不思議です。
そうですね。報道をみていても、きのうあたりから「自己責任」という言葉が増えてきたように思います。世論に合わせてマスコミ各社が舵を切ったように感じます。
犯人に対しての怒りをあまり感じられないのは、ひょっとして「自作自演で犯人はあの3人」だと思っている人たちが多いからなのだろうかなどと考えると、私の単純な頭はグルグル回って訳が分からなくなってしまいます。
3人が帰国して国民が満足できる説明がなされること、いまだに行方のわからない2人が無事に保護されること、イタリア人をはじめいまだに人質になっている外国人が解放されること、そして罪のないイラク人がこれ以上殺されないことを願ってやみません。