2008年08月28日

テロの脅威

 まず最初にアフガニスタンで誘拐・殺害された伊藤和也さんの死を悼み、心からご冥福をお祈りする。

 誘拐のニュースを聞いた時、2003年から8年近くも現地で活動していて現地の言葉も堪能という話だったので、なんとなく『この人なら大丈夫』と思っていた。完全に甘かった。日本の常識なんて通用しないところだっていうことを忘れていた。

 誘拐の一報で思い出したのは、イラクで人質になった男女3人のことだ。確か2004年春の話だったっけ。それより前からずっとアフガニスタンで地道な活動をしていた日本人がいたなんて全然知らなかった。

 5年間の時の重みを考えれば、それだけ価値のある人間が殺されるはずないと思ったし、テレビで見る伊藤さんの写真はどれも充実感に満ち溢れていて『この人はアフガンでまさに水を得た魚なんだな。もっともっと活躍してもらいたいな』なんて勝手なことを考えていた。

 生存情報が一転し殺害を確認したと伝えられたご家族の心中は察するに余りある。お父さんやペシャワール会の人たちは、このまま活動を続ける(続けてほしい)という趣旨の話をしていた。そのほか「テロに屈しない」なんていう格好いいことを言っている人もいた(音声だけ聞いていたので誰が言ったか未確認)。

 そりゃ、伊藤さんの遺志を受け継いで現地の人たちの自立支援が続けられれば、それが一番いいと思う。でも、「善意」が「悪意」と受け止められる場所で命をかけて活動する価値はあるのだろうか。

 「テロの脅威に屈しない」と断言できる人は、たぶん安全な場所にいる人だと思う。アフガンではつい先日もアメリカ人だったかカナダ人の女性3人が射殺されている。丸腰の民間人が1人でテロの脅威に立ち向かうというのは限界に来ている。

 伊藤さんのような人がこんなに簡単に殺害されたというショックから、ひとまずテロの脅威に屈して民間ボランティアは引き上げるべきではないか、と思い始めている私だ。
posted by らくだ at 22:56 | TrackBack(0) | 国際ニュース | 更新情報をチェックする

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