2011年11月24日

11年ぶりの手紙

IMG_7077.jpg 書留が届いた。封筒に漢字ばかり書いてあったから、てっきり台湾の友人の誰かが送ってきたに違いないと思った。

 郵便局の人が帰ってから封筒を見たら、差出人住所の一番下に「中華人民共和国」と書いてある。えっ、中国? 何かの間違いじゃないかと思ったのだが、確かに受取人は私になっている。

 差出人の住所は西安市。西安市を訪ねたこともあるけれど、誰かと住所を交換するほど親しくなった記憶はない。新手の国際詐欺かな?なんて警戒した次の瞬間、差出人の名前に見覚えがあるのに気付いた。

 11年前に中国の新疆ウイグル自治区からパキスタンに抜けるカラコルム・ハイウェイの旅をした。ウルムチから喀什(カシュガル)までの列車で同じ車両に乗り合わせた中で英語を話す唯一の乗客だった。もう一人の男性と2人で乗っていた。

 大学教授か何かとにかく教鞭をとっていると聞いたが所属は人民解放軍。この人たちと会うまでは列車内のトイレを撮影しようとして車掌に「撮影禁止。パスポートを見せろ」などと意地悪されていたのだが、この人が「一緒に記念写真を撮ろう」と言い出して車掌に何か言ってくれたおかげで車掌の態度は一変。急に愛想が良くなり、何を撮影しても文句を言われなくなった。英語よりも筆談の方が意思疎通が簡単だったとはいえ、話し相手ができたことで30時間の長旅がラクになった。

 目的地の喀什に着くと人民解放軍の車が迎えに来ていた。私はちゃっかり乗せてもらって自分の泊まる安宿まで送ってもらったのだった(軍の運転手はそんな安宿なんて知らず道に迷った…)。職権乱用ってやつだと思うけれど、午後8時半をすぎていて市バスを探したりタクシーの料金交渉をするのは大変だったので感謝している(自分の旅は今も昔も変わらず、偶然出会った人の厚意に依存しているってことを実感して苦笑するばかり)。

 帰ってきてから写真とお礼の手紙を送ると返事が来て2往復くらいしたんだったかな。とにかく長いこと疎遠になっていて、2004年に西安へ旅したときだって連絡することなんて思いつかなかった。

 今回の手紙に何が書いてあったかっていうと、最初のHow are you? と最後のBest Wishes! 以外は全部中国語だった…。これじゃ読めるわけないじゃん、とガッカリしたのだが、不思議なことに手紙を見ていたら何となく意味がわかってきた。内容はこんな感じ。
こんにちは。お元気ですか? 11年前に新疆の列車の中で会い、写真を送ってもらったものです。あの時以来、一回お手紙を書いたと思いますが、今回またお送りします。当時、あなたは一人で旅をしていましたが11年たった今は妻となり母親となったことでしょう(旅行当時、夫は日本にいると伝えたにもかかわらず、一人旅だったので既婚だと信じてもらえなかった…)。お目にかかれればお祝いをして差し上げたいです。中国、なかでも西安の変化には凄まじい物があります。もし、西安にいらっしゃることがあれば、ご案内いたします。ぜひ連絡してください(メールアドレスと携帯電話番号が記載されていた)。英文なら読めますが日本語は勘弁して下さい。もちろん中国語大歓迎です。それでは。
 かなり想像力を屈指している部分もあるのだけれども、大きく外れていることはないと思う。すごいな漢字文化の力。

 それにしても、11年たっても覚えていてもらえるなんて私は幸せな旅人だ。
    
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2011年11月22日

重いお土産

 私に会うためわざわざ台北まで出てきたくれた春子ばあちゃんに再会するなり、「今回は重いお土産があるよ」って言われた。最初は悪い冗談かと思った。だって私は出発前に日本から電話した際、お土産はいらないし、あちこち回るから持ち運べないということを強調して伝えていたから(春子ばあちゃんのことを知らない人は2010年3月10日付の「2人の陳さん」を参照)。

 でも、婆ちゃんはすごく真面目だった。被災地の子供たちのことを考えてお土産を用意し、私が運ぶ負担を少しでも軽減しようと自ら台北に持ってきたのだった。そういう意味では物理的な重さよりも真心の重さがずっしりと来た。

 話は数カ月前に遡る。津波被災地の子供たちが書いた作文集「つなみ」を読んで、子供たちが世界の人たちの支援に感謝の気持ちを強く持っているのに感動し、婆ちゃんも読めば喜んでくれるだろうと軽い気持ちで送ったのがきっかけだった。

 婆ちゃんは作文に綴られた子供たちの懸命な姿に感動、何かしないではいられない気分になって子供たちへのプレゼントを用意したのだった。支援金3万元(日本円で2万7000円弱)に加え、自分で編んだという袋に入った100枚近い古銭を手渡された。

 婆ちゃんの気持ちを何とかして届けようと、帰ってきてから作文集の出版元に手紙を書いた。ひょっとしたらこれまでも同じような人がいて、出版社に連絡しているかもしれない。「そういう方はこちらへどうぞ」みたいなルートができていれば、私にも同じように紹介してくれるだろう。忙しくて返事は来ないかも知れないけれどダメ元って気だった。

 そうしたら、今日、担当の方から電話がかかってきた。ひとしきりお礼を言われた後で、このようなお見舞いの申し出は初めてのことだと言われた。上司の方とも相談した結果、津波遺児の支援をしている団体を紹介してはどうだろうということになったそうだ(具体的な団体名を教えていただいたけれど、とりあえずここには書かないことにする)。

 そういう団体なら現金(もちろん私が日本円に両替する)は歓迎してもらえるだろうけれど、「子供たちに直接渡して欲しい」なんていって古銭を持参しても困るだろう。私は骨董品などの関心がないので、この古銭にどれだけの価値があるのか分からない。

 私が子供だったら、海外の古銭をもらったら素直に嬉しいし、それをきっかけにしてその国に興味を持つかも知れない。そんなこともあって、古銭は換金しないでそのまま渡したいとは思うのだけれどど、果たしてどうすればいいものやら。もし、これを読んでいて、何かアイデアや提案があるという方は、コメントないしメール(メールアドレスは右側の下の方にあります)で教えていただければ嬉しいです。
       
posted by らくだ at 23:58 | Comment(3) | TrackBack(0) | 旅日記ほか旅関連 | 更新情報をチェックする

2011年11月15日

「感謝台湾」の旅のはずが…

 台湾旅行から戻ってきた。今回は「感謝台湾」の旅として、いつもの旅よりも散財しようと思って出かけた。もともと貧乏性の私のことだから散財といっても最初からたかが知れているのだが、予想以上に苦戦した。

 平均すると毎日一食は誰かにご馳走してもらっていた。直前に書いたように全く知らない人からご馳走してもらったこともあれば、これまでの台湾旅行で知り合った人たちがご馳走してくれたり、家に招待して家庭料理でもてなしてくれたこともあった。

 なんせ台湾では「ご飯食べた?」が基本の挨拶。友人・知人の食事の心配ばかりしているんじゃないかって思うほどで、「はい、もう済ませました」って返事しているにもかかわらず、「一緒に食べようと思ってお弁当を持ってきた」とか「◯◯に一緒に行ってご飯食べようと思ってやってきた」と言われて、促されるまま2回立て続けに食事をしたこともあった。

 せめて泊まるところは昨年よりもグレードアップしようと思っていたら、ある町で「前にここで泊まったって言っていたよね」と、わざわざ昨年の宿まで知人が送ってくれた。おまけに中から出てきた宿の主人が「あんた去年も来て後で日本から写真を送ってくれた人だね。ありがとうね。今回は安くしてあげるよ」と、値引き交渉をしたわけでもないのに割引料金になった。「あの〜、私はお宅の通常料金よりも高いところに泊まろうと思っていたんですけれど…」なんて、もちろん言えない。

 おみやげも持ち切れないほどいただいた。自分で買う必要がなかった。というよりも、とても持ち運べないので買えなかった。あと、私の着ていたTシャツ(Thank you Taiwanのメッセージ入り)がよかったのか、本来なら有料の物・サービスがあちこちで笑顔とともに無料になった。

 というわけで、いつも以上に台湾の人々の厚意に依存した旅になってしまった。緊縮財政を心がけていたわけじゃなく、むしろ積極的にお金を使おうと思っていたのに。

 予想外の出費といえば、温泉愛好家の方に案内をお願いして山中の源泉地めぐりをした際、土砂降りの雨にあってジーンズがベチョベチョになってしまい、台北のユニクロでパンツを買った程度。これじゃ全然「感謝台湾」の旅にならなかったな。
      
posted by らくだ at 23:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅日記ほか旅関連 | 更新情報をチェックする

2011年11月11日

災い転じて福と成す

一年ぶり今年初めての台湾で絶体絶命のトラブルに巻き込まれたものの、気がつけば無事に切り抜けられていた。しかも、すごくおいしい思いをして。私を乗せたタクシーの運転手さんにとっては、悪夢のような出来事だったに違いない。

9日のことだ。ある町でタクシーの運ちゃんに料金交渉して2時間弱かかる温泉(野湯)に出掛けた。現地に到着後「車は侵入禁止」の注意を見落とし、細い急勾配の下り坂にタクシーで侵入してしまったのが失敗の始まりだった。

IMG_6647.jpgこんな道に入って大丈夫なのかなぁと思わないでもなかったんだけど、こっちはペーパードライバー、向こうは職業ドライバーなのだから余計な心配なんだろうな〜と思った。いよいよ道が狭くなり、運ちゃんに促されて車を降り徒歩で温泉に往復した。あとから男性2人組がやってきて、外国人が1人でやってきたことにビックリしていた。

温泉を堪能してタクシーに戻ると運ちゃんがいない。声を出して呼んでも反応がない。この時点ではまだ深刻なトラブルに気づいていなかった私は、『車を動かすと私が心配するから、ここに車を置いたまま上の集落にお茶でも飲みにいったのかな』なんて悠長なことを考えていた。

それにしても遅い。なんとなく不安になり、坂の上の方まで探しにいくことにした。坂を上りきらずに途中でしばらく待っていると、上から軽トラがやってきた。助手席にはタクシーの運ちゃんが乗っている。

タクシーが立ち往生してしまい、運ちゃんがどこかから牽引車を呼んできたのだと理解するまで、ちょっと時間がかかった。事態を飲み込むと絶望的な気分になった。

だって降りてくるときだって、あんなに何回も切り返したのに、牽引してもらってカーブが曲がれるわけない…。私の予想通り、タクシーは数メートル進んだだけでカーブは曲がれなかった。

しばらくして、2人は再び軽トラに乗って「ちょっと待ってな」と言ったままどこかに行ってしまった。坂を歩いて上り、雨の中をじっと待つ。坂を上ったところにある集落は家が数軒あるだけ。車なんて一台も来ない。

30分、1時間、1時間半と待っているうちに顔がひきつってきた。雨は強くなるし、あたりは薄暗くなってくるし。今日は傾いたタクシーに戻って、そのなかで寝るしかないのだろうか。集落にある売店で水と乾き物程度は買えるとしても、夜のトイレはそのへんで…などと考えると、どこまでも暗くなっていった。

そこへ温泉で会った二人組が戻ってきた。「タクシーが立ち往生しているのを見たよ。とんでもないことになったね。僕たちの車に乗せてあげるよ」。中国語はできないのに、なぜかこのときだけは完璧に理解できた。

まさに渡りに船。喜んで乗せてもらう。タクシー料金を払っていないのが気になったけれど、途中ですれ違う車がいたら例の軽トラに違いないということで出発。実際、一台目の対向車が運ちゃんの乗っている軽トラで(それほど車が通らないのだ)、料金を踏み倒さずにすんだ(会えなかったらタクシーを見つけた町の警察署に行って事情を説明してお金を預けようと思っていた)。

私を拾ってくれた2人は、会社員でバツイチのリョウさんと失業中のアゴッ。高校の同級生だそうで、たまたまリョウさんが平日に休めたので2人で温泉に来たのだった。この温泉を訪れるのは年に1、2回。平日に行くと普通はほかに誰もいないそう。彼らに会えた私はすごくラッキーだった。

2人が「体が冷えたからスープを飲んで行こう」というので、屋台にでも寄るのかと思って同意したら、すごくオシャレなレストランに入っていった。オーガニック食材を使っているレストランで、客の服装もこざっぱりしている。どうみても野湯帰りの私たちには不釣り合いだ。

すごく混んでいて1時間待ちと言われたので諦めたけれど、私に気を使っておしゃれな店を選んでくれたに違いなく恐縮した。次に入ったのは海鮮料理の店で、ここも結構高そう。刺身から始まって鶏、海老、青菜炒め、魚、蛤のスープ、イカなど、次から次へと料理が出てきた。

車に乗せてもらったお礼に私が食事代を出すつもりだったけれど、こりゃ高そうだな〜と青ざめる思いだった。ところが、トイレに席をたったわけでもないのに、私が財布を取り出す前にいつのまにか勘定が終わっていた。

食事が終わりバス乗り場へ。車に乗ったままちょっと待っててと言われ、気がついた時にはバスの切符まで買ってくれていた…。

彼らは「台湾人だって一人であんな温泉に行かないのに、日本人の女の人が一人できて、しかも台北から日帰りするなんてスゴいと感心したから」と言う。「スゴい」だけ日本語だった。

私は友人の情報を基にしてマネしただけなのに。あまりにも嬉しくてありがたくて涙ぐんでいたら、「台湾には悪い人もたくさんいるから、知らない人を信用しちゃだめだよ」と言われ、「あなたたちがよく言うよ」って泣き笑いになってしまった。

この2人に拾ってもらえなかったらどんなことになっていたか、想像するだけで恐ろしい。天国と地獄は紙一重だ。

posted by らくだ at 09:16 | Comment(2) | TrackBack(0) | 旅日記ほか旅関連 | 更新情報をチェックする

2011年11月05日

壁紙の宝庫

 パソコンの壁紙はこれまでずっと自分の撮った写真を使ってきた。直近はアイスランドで撮った写真だった。そろそろ新しい写真に取り替えようと思ったものの、どうもこれといった写真が見つからない。そこで、無料で提供してくれている外部の写真を使うことにした。

 米National Geographic誌のサイトはまさに壁紙の宝庫(リンクは日付順の写真アーカイブ)。好きな写真をクリックすると、写真の下にDownload Wallpaperというリンクが出てくるので、それをクリックすると自分のパソコンにダウンロードできる。

 プルダウンメニューからテーマ別に選ぶこともできる。上から「冒険&探検」「動物」「白黒」「歴史」「風景」「自然&天候」「人々&文化」「科学&宇宙」「旅行」「水中」とさまざまあり、素晴らしい写真が揃っているので見るだけでも楽しい。

 私は既に複数の写真をダウンロードしている。今現在、壁紙に使っているのは「Lake of the Moon, India」という2009年の国際写真コンテストに出品された作品。えぇ、もうね、自分の写真とは天と地ほど違う。

 作品によってはダウンロードのリンクがないものもあるけれど、大多数は壁紙に利用できるみたいなので、関心のある方はのぞいてみてはいかがでしょう?
     
posted by らくだ at 00:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 話題 | 更新情報をチェックする