辞任会見の一部をちらっとテレビで見たりネットで読んだりしただけの印象だと、本人は『マズイことを言った』とは思っていても、自分の発言が結果として大騒ぎになってしまったからというだけで、どうみても自分の発言内容を真摯に反省しているとは思えなかった。
こういう人って徹底的に昭和の感覚を引きずっているんだろうな。数十年前と変わらない感覚でお山の大将を気取っている。でもね、平成に入ってからすでに二十数年がたって、世の中はずいぶん変わった。
2ちゃんねるやブログ、mixi、ツイッター、facebookなんてものが登場したのは最近の話だ。この中で最古参の2ちゃんねるが10年ちょっと前だったかな。オンラインの人のつながりが強まった結果はいいことばかりかっていうと、そうでもない。数知れぬ見知らぬ人たちが自分の言動を見張っているかもしれないという怖さもはらむ。
ごく普通の人だって何かイタイことをすれば上記サイトで祭りが起き、本名や勤務先といった個人情報まで突き止められて晒される。職場にまで通報されて仕事に支障が出たり、解雇されたりした例も何件か見てきた。昭和時代に比べたら「監視社会」的な傾向はずっと強まっていると思う。
しかし、祭りにならないようにってビクビクしながら行動するのも窮屈でバカらしい。ふとオーウェルの「1984年」を思い出した。あれは当局がモニターで市民を監視していたんだっけ。ずいぶん前に読んだ本だし、手元にないので正確には思い出せないのだが、あの作品は「監視社会」という意味では現在を予言していたような気がしてきた。