大災害があるたびに「被災者に申し訳ない」という理由で何もかも自粛ムードになる。日本人特有の美学かもしれないが、東北地方で経済活動が停止状態になっているのだから、その分も盛り上げようという発想こそが必要だと思う。震災の影響がない人が元気に上を向いて活動し、お金を使うことが日本経済を底支えすると思うのだが…。
海外の友人から届くメールは地震→津波→原発事故と、お見舞いの対象が変わるとともに内容も悲観的になっている。私は原発の知識がまったくないので迂闊に書くつもりはないのだが、日本の報道は、友人たちからのメールよりもずいぶん楽観的な印象。チェルブイリ、スリーマイル、フクシマと、世界で後々まで語り継がれる3大事故の1つが今進行しつつあることは理解しているつもり。
我が家の生活にも影響が出始めている。食パン、牛乳、トイレットペーパーが買えない。「被災地に優先的に回しているため」ということだから、もちろん納得している。昨日はトイレットペーパーを持って歩いている人を見かけ、つい「それどこで買ったんですか?」と尋ねてしまった。遠くで買って持ち歩いているのだと苦笑気味に教えてくれた。
スーパーでは混乱を避けるためか入荷情報を教えてもらえなかった。個人商店で聞いてみたら、食パンもトイレットペーパーも木曜日(17日)には入荷する予定だそう。あと2日待てば手に入るのだったら、それほど大騒ぎしなくてもいいか。夫に「インドにいると思えば、紙なんてなくたって大丈夫だよ!」と言ったら即座に「ムリ」と言われちゃった。
コメはまだあるんだけど、スーパーの棚が空っぽなのを見ると、あったら買わなくちゃいけない気分になるから不思議だ。要するにモノ不足って心理的な問題なのだ。未曾有の災害があって、しかもスーパーに行くと棚がスカスカしている。それを見て『他の人も買っているなら買わなくちゃ』って感じるというところかな。災害時にデマが広がるのと同じようなもんだ。