2010年05月28日

「残念」違いに慌てる

 「残念」という言葉の解釈というか使い方が人によって違うことに気づいて慌てた。1人の若い女性の例がすべてとも思えないのだが、とにかくどっぷりとジェネレーションギャップを感じて冷や汗をかいた。

 初対面の20代の女性と話しているうちに、話題は彼女の失敗談になった。彼女の立場を理解した上で同情を示すつもりで「それは残念だったね」という返事をしたのだが、「え〜っ、私って残念ですかぁ、ショックぅ」という反応がかえってきて、彼女を傷つけるようなマズイことを言ってしまったと、こっちもすごくショックぅだった。自分の意図することを説明するのに苦労した。とにかく相手が「残念」という言葉にこだわるからだ。

 どうも「残念」という言葉は人間を説明する形容詞になりつつあるらしい。一例を挙げると「残念な人」。確かにここ数年そういう表現を見るようになった。例えば、本屋に行くとベストセラーのコーナーには「残念な人の思考法」という新書(買ったもののまだ読んでいない)が並んでいる。

 何年か前、さまざまな人を「残念!」と斬り捨てたギター侍の影響が広がっているのかな? 私のように昭和の教育を受けた人間には、行為や現象などについて「残念」と感じるのが普通だし、私はある人物の全体像をこれまで「残念」と表現したことはない。そのうち「残念な人」が当たり前になるのだろうか。 

 ほかにも考えてみると「寒い」とか「すべる」という言葉も使い方が変わってきたというか、従来とはちょっと違った使い方をするようになった。言葉は生きていて、私はだんだんとそれについていけなくなっている。とにかくこれからは「残念」の使い方に気をつけよう。
      
posted by らくだ at 22:59 | Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする