初対面の20代の女性と話しているうちに、話題は彼女の失敗談になった。彼女の立場を理解した上で同情を示すつもりで「それは残念だったね」という返事をしたのだが、「え〜っ、私って残念ですかぁ、ショックぅ」という反応がかえってきて、彼女を傷つけるようなマズイことを言ってしまったと、こっちもすごくショックぅだった。自分の意図することを説明するのに苦労した。とにかく相手が「残念」という言葉にこだわるからだ。
どうも「残念」という言葉は人間を説明する形容詞になりつつあるらしい。一例を挙げると「残念な人」。確かにここ数年そういう表現を見るようになった。例えば、本屋に行くとベストセラーのコーナーには「残念な人の思考法」という新書(買ったもののまだ読んでいない)が並んでいる。
何年か前、さまざまな人を「残念!」と斬り捨てたギター侍の影響が広がっているのかな? 私のように昭和の教育を受けた人間には、行為や現象などについて「残念」と感じるのが普通だし、私はある人物の全体像をこれまで「残念」と表現したことはない。そのうち「残念な人」が当たり前になるのだろうか。
ほかにも考えてみると「寒い」とか「すべる」という言葉も使い方が変わってきたというか、従来とはちょっと違った使い方をするようになった。言葉は生きていて、私はだんだんとそれについていけなくなっている。とにかくこれからは「残念」の使い方に気をつけよう。