2010年03月31日

春子ばあちゃんからの電話

 夜の11時前に電話が鳴った。そんな時間に電話が鳴るっていうのも珍しい。そもそも固定電話なんて随分前から仕事専用になっているから昼間しか鳴らない。親戚に何かあったのだろうかと不安に思いながら出たら、台湾の春子ばあちゃんだった(3月10日付の「2人の陳さん」を参照)。

 私の送った写真が届いたとわざわざ電話をくれたのだ。旅先でお世話になった人にはできるだけ住所を聞いてお礼状を送るようにしている。それが届いたと連絡をくれる人はごくわずかだ。相手の好意に対するお礼状だからそれ以上何かを期待しているわけじゃないのだが、やはり連絡をもらうとすごく嬉しい。

 春子ばあちゃんは相変わらずで「昨日は(私と会った)温泉に泊まってきたよ」「あさっても泊まりに行く」「写真を送ってもらったから、こちらからも何か(骨董品を)送るから」「この間は突然だったから、うちに呼んであげなくて悪かったね」などと言う。

 こちらは「偶然に会えただけでも本当に嬉しかったです。何もいりません。希望があるとすれば、次に台湾に行くときにまた会いたいです」と言っているのに、「いや、何か送るから待っていなさい!」と頑固だ。「日本語の手紙を読んで嬉しかったからまた頂戴ね」と言うので、「もちろんまた送ります」と約束した。手紙だけじゃなく私自身のことも「早くまた来なさい」と待ってくれている様子だ。

 ひとしきり話したあと、「そっちは今何時? え、10時50分? 台湾よりも1時間進んでいるね。早く寝なさいよ」なんて言う。なんだか本当のばあちゃんに心配されているみたい。電話を切ってからウフフ…と一人で笑った。

 先日の旅で春子ばあちゃんに出会ったことで、私はますます台湾に吸い寄せられていきそうな気がする。
     


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2010年03月30日

まばら桜

 桜フェチの私としてはすごく心配なことがある。去年気付き今年もどうやら同様みたいだ。我が家の近所だけかもしれないが、桜の咲き方にかなりバラツキがあるのだ。

 先週から気になっていた。同じの木でも花が開いているところと固いつぼみのところに分かれている。2年前まではそんなこと全然気にならなかった。昨年も桜の時期になって寒さがぶり返したっけ。このところの寒さが原因なのかな。

 少しずつ咲いていけば、その分だけ花を長く楽しめるじゃない、という人もいるかもしれない。しかし私に言わせれば、桜はパッと咲いてパッとはかなく散るからこそ魅力があるのだ。早く春の陽気が戻って一気に花が開いてほしい。もうすぐ4月だ。早い。
    
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2010年03月29日

昨日の穴場温泉

 昨日はオフ会で雪のちらつく群馬を仲間と徘徊。伊香保温泉の石段街にある「処々や」にようやく行くことができた。何年か前にテレビ東京のアド街で見てず〜っと気になっていた。
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 写真の通り、外から見ると蕎麦屋併設のタコ焼き屋にしか見えない。しかし、ここはかつて旅館だったそうで、黄金の湯源泉(本線)を使った男女別浴場がある。ちょど昼時だったのでここでお蕎麦を食べて入浴をお願いした。食事をしたので入浴はタダだった。

 お風呂も脱衣所も一応男女別になっているのだが、奥にある女湯には男性用の脱衣所を通らなくては行けない。お風呂も奥の部分でつながっている! といっても貸切利用だけなので、問題はないはず。女湯は男湯の2分の1程度の大きさ。2人だと窮屈感があるかも。大人数では利用できないので要注意。源泉が40度強なので、当然ながら浴槽内は30度台。ぬるめの湯でまったりと至福の時をすごした。
   
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2010年03月26日

関係者起訴当日のシエスパの様子

 仕事で渋谷を通りかかったので、久しぶりにシエスパまで行ってきた。2、3日前に関係者2人が在宅起訴される見通しになったと報道されていたからだ。

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 2007年6月の爆発死傷事故からもうすぐ3年になる。シエスパ本館は何も変わらないままだった。バリケードは真っ白だったので交換したばかりかも。

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 裏手に回る。爆発した別棟も事故直後とそれほど変わっていない様子。献花台にはキレイなアレンジメントとミネラルウォーターが置いてあった。ちょっと肌寒くなってきた時間帯、私は温かい缶入り紅茶を供えて犠牲者の冥福をお祈りしてきた。

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 変化もある。確か住宅だったはずの左隣はコインパーキングになっていた。

 帰宅してから大成建設のシニアエンジニア(51)と開業時の運営会社ユニマット不動産の取締役(47)が業務上過失致死傷の罪できょう在宅起訴されたことを知った。

 人を癒すはずの温泉が管理者次第で人の命を奪うこともあると知らしめたこの事件をきっかけに、温泉に対する私の思いはずいぶん変わったと思う。最近では新規開業のスーパー銭湯や都市部のスパ施設などにはほとんど行かなくなった。興味もない。私にとって温泉は「遠くにありて思うもの」であり「母なる大地の恵み」である(「母なる大地の恵み」というのは文字通り大自然の贈り物であり、母なる大地を千何百メートルも掘削してポンプアップしている地下水のことではない)。

 3人のご冥福をあらためてお祈りするとともに、ご遺族の方にお見舞い申し上げます。
      
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2010年03月25日

風呂マンガ「テルマエ・ロマエ」

 漫画本を久しぶりに買った。少なくとも15年以上ご無沙汰していた。買ったのはマンガ大賞2010を受賞した「テルマエ・ロマエ」の単行本第一巻。自サイトの掲示板で友人の索さんに教えてもらい、風呂&浴場が題材・舞台のマンガというのは聞いたことがないので早速買ってみた。アマゾンで注文してから届くまで4日かかった。

 ローマ時代の浴場設計士が主人公。ふとしたことから現代の日本の銭湯やら温泉へのワープを何回も繰り返すことになりそこで見たものをローマで再現して…というお話。荒唐無稽ながらなかなか面白い。

 浴場の描き方もさることながら、ワープしてやってきた銭湯で日本人を見て奴隷衆だと思い込むのがウケた。古代ローマ人が何の先入観もなく日本人に接して自分たちよりも劣る人間だと判断したという設定に納得している自分に苦笑した。

 温泉卵を作っている傍らで入浴している(火傷すんだろ!)という場面など、ちょっと突っ込みたくなるところもあったものの、風呂&温泉好きならグフフ…と笑って読めると思う。

 ところどころに挿入されているコラム風の文章によると、作者のヤマザキマリ氏はイタリア留学経験があり、現在ポルトガルに住んでいるらしい。とにかく不思議なマンガ。

 普段マンガ本売り場なんて行かないし、連載されているコミックビームなんていう雑誌、見たことも聞いたこともない私にとって、まったく新しい世界だった。たまにはこんな刺激も楽しい。

 多分、2巻目も出たら買ってしまうだろう。しかし、そんなにネタが続くんだろうか。大深度掘削技術を持ち帰ってローマ帝国のありとあらゆるところに温泉…なんて展開にならないことを祈りたい。

【追記】作者のヤマザキマリ氏のブログはこちら→http://moretsu.exblog.jp/ プロフィールによると、中学2年の冬休みにヨーロッパ1人旅に挑戦し、17歳でイタリアに渡ってフィレンツェで絵の勉強を始め、現地で結婚してあちこちで生活してポルトガルに落ち着いたそう。中2の冬休みにヨーロッパひとり旅とは、やはりタダものではなかった。

テルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX)

テルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX)

  • 作者: ヤマザキマリ
  • 出版社/メーカー: エンターブレイン
  • 発売日: 2009/11/26
  • メディア: コミック


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2010年03月23日

今日の失敗

その1)
 地下鉄駅のホームにうずくまっている女性がいた。少し離れたところには椅子もあるのに。てっきり具合が悪いのだろうと思って「大丈夫ですか?」と声をかけたら、その女性はしゃがみ込んで化粧しているだけだった。おまけに舌うちされちゃった…。す、すみません、おせっかいなおばさんで。

その2)
 台湾でお世話になったばあちゃんにDVDを送ろうと、時代劇のDVDを探す。すると見つけちゃったんですね〜。1930年代の戦争ものを。正確には1939年制作の「土と兵隊」。どんな映画か知らないけれど、多分、こっちの方が喜ばれるんじゃないかと思って購入。

 帰宅してからふと不安になって調べたら、やはり台湾と日本はリージョンコードが違っていた…。日本は2で台湾は3だ。つまり台湾の普通のDVDでは再生できない。自分で見るしかなさそうだ。(><)
     
タグ:台湾
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2010年03月20日

言葉の重さ

 政治家の発言を聞いていて「自分で言うなよ」と突っ込みたくなることがある。重さが感じられない。

 鳩山サン(首相)にしたって平野さん(官房長官)にしたって、米当局者に向かって「トラストミー(私を信じて)」なんて言うのが恐ろしく胡散臭い。私のこれまでの経験から言えば、信用できる人は自分からそんなことを言わない。黙って行動して結果で示す。信頼関係が十分にできていない相手から「信じろ」なんて言われたって無理な話だ。

 そうかと思えば、別の鳩山サン(元自民)は「鳩山邦夫という坂本龍馬が…」と幕末のヒーロー(もしくはNHK大河ドラマの主人公)気取り。もし本当に坂本龍馬の器に値する人物がいたら、絶対に自称しないって。

 この人、かんぽの宿をめぐる郵政公社との一連の騒動以降、どうも自分はヒーローだと思い込んでいるのではないだろうか。正直いって痛々しい。まぁ民主党がガタガタしているこの時期に醜態をさらしてくれて、民主党にとっては嬉しい限りだろう。

 その民主党で、私にしてみれば極めてまっとうなことを言っているように思える生方サンが、幹部の逆鱗に触れて党副幹事長を解任されるとかされたとか。民主党のエライ人たちって自分で自分の首を絞めているってことが分かっているのだろうか。

 結局自民もダメ民主もダメってことだけはよく分かった。今度の参院選挙はどうすればいいのやら。
    
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2010年03月18日

彰化扇形庫

 台湾版鉄子エントリー。京都の梅小路にも行ったことないのに、台湾中部の彰化で扇形庫を見学してきた。夫へのお土産として、何が何だか分からないなりにバシャバシャ写真を撮ってきた。週末だったので、家族連れやカップルなどでにぎわっていた。

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敷地の一角にある展望台から撮影。日本統治下の大正11年に建造され、台湾で唯一残っている扇形庫だそう。


「安全第一」というのは日本でも書いてありそう。

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左側のCT273は垂れ幕によると、どこかから里帰りしたらしいのだが、もちろん私が詳細を知るはずもない。

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遠くから見るだけなんだろうと思っていたら、皆さんかなり近づいて記念撮影をしていた。注意もされない。やはりSLが人気だ。

 9時から5時まで無料で見学可能。台中駅から南に20〜30分程度に位置する彰化駅から歩いて10分弱。行き方は駅を出て三民路を左手に(線路沿いに北へ)進み、最初の信号(五叉路)で左折して和平路を線路に沿って進むと、線路をくぐる自動車専用路に突き当たる。歩行者はどうすればいいのだろうと一瞬焦るが、ここで後ろを見ると歩行者用の地下通路入口がある。線路をくぐり抜けて階段を上って左手に進んだところが入口だ。

 受付でパスポートを出すと、名簿を出してくるので住所や名前を書いて参観証のカードを受け取り(パスポートは預ける)、帰りに参観証とパスポートを交換するだけ。挨拶以外に話す必要はなかった。残念ながら鉄っちゃんグッズなどの販売はない。
   
タグ:台湾
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2010年03月17日

旅の余韻

 台湾で消息不明になってしまったんじゃないかと心配してくださった皆さまには申し訳ない。私は既に帰国しております。

 持参のパソコンを旅先でほぼ毎日ネットにつないでいたというのに、ネットブックなので必要最低限の作業しかする気になれず、ちょっと仕事をためてしまった…。(汗)それと、今回はいろいろ考えることが多い旅でもあり、帰って来てからちょっと放心状態になっていたというのもある。

 地震被害を心配してくれた皆さま、少なくとも私の訪問した高雄や南東部海岸地方では皆が口をそろえて「もう影響はない」と言っていたのでご安心を。初の数日間は新幹線が全席自由席になって間引き運転していた程度。私は台北−高雄間をバスで移動したので影響はなかった。高雄の六合夜市は10年ほど前に行ったときに比べて屋台も人もやや少ないように感じたけれど、訪問した時間が早かったせいかもしれない。

 何気なく見ていたテレビニュースによると、嘉義県のどこかで地震後に灌漑用水の温度が100度前後に上昇、近隣住民が卵を持ってきて温泉卵を作っているとのことだった(字幕と映像から想像した内容)。灌漑用に使えなくなった被害については触れず、卵の話だけ報道していたのがいかにも台湾らしかった。

 その半面、地震よりも昨年夏の88水災の影響が依然として大きく残っているのを実感した。川べりの温泉旅館が壁のなくなった状態で廃虚と化しているのも見かけたし、現地の人が「ここの土地も川の洪水で少し削られたんだよ」なんて冷静に説明してくれたこともあった。

 そうかと思えば中部で訪ねた温泉で、現地の方に「あの温泉は土砂に埋まってしまったよ。違う、違う、88水災の影響じゃない。あれは南部の話。こっちのは何年か前の72水災じゃよ」なんて言われた。台湾でいかに自然災害が多く発生しているかを改めて実感した旅でもあった。

 旅先でお世話になった人たちにお礼状を書き始めた。今回は高齢な人が多く、メールアドレスを教えてくれた人は1人だけ。あとの人には郵便で写真等を送らなくてはいけない。手紙は中国語と日本語を併記するつもりだ(当然ながらグーグルかヤフーを使って翻訳する)。春子ばあちゃんには早速時代劇のDVDを買ってこなくちゃ。キレイな記念切手を貼って送ろう。私は旅も大好きながら、旅の余韻をしみじみと味わうこの時期もすごく楽しい。 
    
タグ:台湾
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2010年03月13日

ロウさんとモーナルーダオ

 台湾に来るたびに善意の借り(?)が増えていく。昨日お世話になったのは温泉民宿の主人ロウさんだ。といってもロウさんの宿に泊まったわけじゃない。温泉への道を尋ねただけだ。

 私が中国語の資料を持っていたせいか、挨拶と筆談の段階では北京語を話せない香港人だと思われたみたい。「ホンコン?」と尋ねられてしまった。台湾語で「私は日本人です」と言ったら、ビックリしながらも日本語に切り替えてくれた。といってもロウさんは64歳だから学校教育で日本語を習ったわけじゃない。両親が家で日本語を話していたのを聞いてわずかに覚えているのだそう。

 私の目指していた温泉は温度が下がってしまったけれど、行けないことはないという。15分で行けるというので、道を教えてもらって歩き出す。昨年の台風の爪あとはすさまじく、道が途中で途切れて急斜面のガレ場になっているところもあった。

 しばらくしてロウさんが様子を見に来てくれた。1人で出かけていったので心配になったという。ロウさんと一緒に戻り、チェックアウト前の女性客3人と一緒にフルーツやお茶などをご馳走になった。

 フルーツをいただきながら「昨日モーナルーダオの墓参りをしてきたんです」と話したら、一同は悪い冗談だと思ったらしい。一気に静まり返って気まずい雰囲気になった。

 無理もない。モーナルーダオというのは1930年に日本の統治に対する反乱を起こして何百人もの日本人を虐殺した首謀者だから。当然ながら日本はモーナルーダオとその一味に報復をして虐殺した。台湾の人々にとってモーナルーダオは祖国のために命をささげた英雄であり、学校教育でも必ず教えられるそうだ。

 日本人がそんな人の墓参りをするってことが信じられなかったみたいだ。お客さんの1人に「あなたモーナルーダオが何をしたか知っているの?」と厳しい口調で聞かれた。「もちろん知っています。10年以上前に本で読みました」と答えたら、みんなで顔を見合わせている。

 女性客たちは日本語も英語もほとんど話さないので筆談も交えて説明する。台湾に来るたびに台湾人に親切にしてもらっていること、そのなかには日本の教育を受けた戦中派の人も少なくないこと、日本の植民地統治に対してものすごく好意的な人もいるけれど自分はもっと客観的でありたいこと−−などを伝えた。モーナルーダオの墓参りをして感じたのは、過去の歴史を変えるのは絶対にできないけれど、未来の友好関係は自分たち次第だということだと説明したら、皆さんすごく納得してくれた。

 フルーツをいただいたお礼に、たまたま持参していた柿ピーの小袋をロウさんに渡す。ロウさんは黙ったままじ〜っと袋を見つめていたが、しばらくして「これ、ラッカセイ、ラッカセイだ!」と口を開いた。何十年かぶりに落花生という日本語を思い出したのだ。両親の思い出も一緒によみがえったのか、ロウさんは本当に嬉しそうな顔をしていた。

 「そろそろバスの時間なので行かなくちゃ…」と挨拶したら、ロウさんが車で送ってくれると言い出した。しかも、前夜泊まった宿まで荷物を取りに行ってから、その逆方向にあたる目的地まで連れて行ってくれるという(バスで折り返すつもりだった)。結局30キロ以上の道のりをロウさんの軽トラに乗せてもらった。

 目的地の町近くでガソリンスタンドを見つけ「ロウさん、ガソリン満タンに入ってますか? あそこで入れましょう。ガソリン代くらい払わせてください」と言ったのに、「心配いいよ」と笑って断られちゃった。持参した日本の絵葉書をあげ、ロウさんとのツーショット写真を送る約束をして住所を聞いてきた。

 後になって気づいた。ロウさんは温泉民宿を経営しているってのに、私はまったくお金を使っていない。せめてお金を払って泡湯(温泉入浴)くらいさせてもらえばよかった。いつもながら台湾の人たちの好意にどっぷり浸かりすぎていることを、ちょっと反省しないといけない。
   
タグ:台湾
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2010年03月10日

2人の陳さん

 絶対に忘れられない出会いがあった。2人とも苗字は陳さんといい、80歳を超えているのも一緒だ。

 最初にあった陳さんは女性だ。日本語ペラペラの経営者がいるはずの温泉民宿に行ったら、日本語も英語も話さない息子が跡を継いでいた。困った彼が呼んできたのがこの陳さん。最初は経営者のおばあちゃんに違いないと思い込んでいたのだが、単なる常連の日帰り入浴客だった。

 陳さんは昭和3年生まれ。日本の教育を受けて今でも教育勅語を暗記している。日本名は春子さんで、名刺には中国語の名前のほかカタカナでハルと書いてある。日本のものは何を見ても誰にあっても(それが若い人でも)懐かしい気持ちになるのだそう。日本の絵葉書を何枚か持ってきていたので、富士山と桜、金閣寺の2枚を上げたら、ものすごく喜んでくれた。

 お返しにくれたのが、植民地時代の1円硬貨3枚。絵葉書2枚で古銭3枚というのは随分もらいすぎなので「高価なものだろうから、私は受け取れません」と言ったのだが、「日本人に持っていてもらうのが私の幸せ」だという。ありがたくいただく。

 水着に着替えて一緒に温泉プールに入る。「日本語の歌を一緒に歌いましょう」と言うので同意したのだが、春子ばあちゃんときたら「敵の砲撃かいくぐりぃ〜♪」とか「お国のためにぃ〜♪」と私の聞いたこともない戦時中の歌ばかり大きな声で歌う。おまけに「あれ、知りませんか? だめですねぇ」と来たもんだ。

 ここでもう一人の陳さん(男性)が登場。ほかの客から日本人が来ていると聞いて寄ってきた。私と日本語で話しているのを見た春子ばあちゃん、陳さんと軍歌の合唱を始める。あとで「あの人の方が私よりも日本の軍歌をたくさん覚えていた…」と悔しがっていた。

 春子ばあちゃんは帰り際、「日本人は台湾を宝の島と呼んでくれた」と言って私に箱をくれた。中から出てきたのは台湾の形をした木製の箱。たぶんチーク材でできていると思う。おまけに象嵌細工が施されている。高価なものに違いない。中には削っていない印鑑2本と別の古銭が入っていた。当然ながら遠慮したのだが、「あなた持っていなさい」と言われてありがたくいただく(しかし思いがけず荷物が増えた…)。

 春子ばあちゃんたら、日帰り入浴に行くのにいつも骨董品をこんなに持ち歩いているのだろうかと不思議に思うかもしれないが、名刺には「古物商」と書いてあるので納得できないことはない。しかし、日本人に出会うたびに気前よく配っていたら商売にならないんじゃ…。心配だ。

 しかし、春子ばあちゃんは「あぁ、日本人と日本語で話せて今日はすごくいい1日だった」と本当に満足そうに帰っていった。同行の孫やひ孫?たちも言葉は通じないものの「うちのばあちゃんを楽しませてくれてありがとう」と言ってくれていたみたい。チャンバラが好きだという春子ばあちゃんに日本からDVDを何枚か送るつもりだ。

 軍歌競争で春子ばあちゃんに勝った陳さんは、日本名は聞かなかった。というかあまりにも日本への思いが強すぎて聞けなかった。もうすぐ90歳になるそうだが、かくしゃくとしている。400キロのドライブも「へのかっぱ」だそうだ。日本軍での地位は台湾人としてはかなり上で随分活躍したそうだ。軍歌競争で春子ばあちゃんに勝つのも当然といえば当然なのだ。

 陳さんの口から「あの戦争で日本が勝っていれば、私はこんな田舎暮らしをしていなかったはず…」という言葉が出て、ひっくり返りそうになった。だって、冗談にしたってそんな非現実的な仮定の話、これまで聞いたこともなかったから。でも、陳さんはごく真面目だった。

 かといって日本に恨みがあるわけじゃない。まったく逆だ。敗戦により台湾と日本は切り離されてしまい、ともに被害者になったという認識なのだ。「台湾が中国に併合されるなんてとんでもない。日本と一緒になれないのだったら独立するしかない」と言われ、日本人でいることを諦めなくてはならなかった陳さんの無念さを思うと返事のしようもなかった。

 春子ばあちゃんは「人を騙さず、盗まず、正しいことをしろ、感謝する気持ちを持てと教えてくれたのが日本の教育です。でも、戦後受けた中国(国民党)の教育には道徳教育はまったくありませんでした」とキッパリ断言していた。その昔、台湾を統治し子供たちに教育を施した日本人たちは、こんな風に自分たちの文化や考えが引き継がれることを予想していたのだろうか。植民地支配を支持するつもりはまったくないけれど、今日だけは昔の為政者に感謝したい気分だ。 
   
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2010年03月07日

日本語三昧の旅

 今回の旅はいつになく日本語を使っている。というか日本語で話しかけられる。というのも一部の日程を友人と一緒に旅しているからだ。

 例えば食堂でメニューを見て友人に「これは辛いみたいだよ」などと話している。すると後ろのテーブルに座っている人が、くるっとこちらをむいて日本語でメニューの説明をしてくれる。野湯に行ったら帰りがけにやってきたカップルが「ここには普通の台湾人でもほとんど来ません…」と日本語で話しながらドン引きしていた(すみません普通じゃなくて)。

 一人で歩いているときは、ほぼ100%といってもいいほど台湾人に間違われる。空港の免税店でも中国語で話しかけるくらいだ。従ってこちらから話しかけない限り、日本語を使う機会はない。日本語の達者な台湾人が戦中派に限らずかなりの割合で存在することを、友人と旅してみて改めて実感した。
   
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2010年03月04日

地震続き

 大きな地震のニュースが続いている。ハイチに始まって沖縄とかチリとか。 世界の各地でこんなに地震が続くっていうのは、人間に対する地球の怒りが爆発しているのだろうか?と、非科学的な人間ゆえに非科学的なことを考えてしまう。 

 今日は台湾の南部で大きな地震があったと聞いて驚いた。このところブログやホームページの更新をサボっていたのは「ブログの更新をするヒマがあったら私の○○○を先にやってくださ〜い!!」というメールを警戒していただけじゃない。仕事と確定申告を片付けたら、またまた台湾に出かけてこようと思って必死に作業していたからなのだ。

 今日も一日中バタバタしていたので台湾で地震があったことは夕方まで何も知らなかった。オーストラリアに住んでいるインドネシア人の友人から「3月に台湾に行く予定って言っていたよね。まだ日本にいる? 地震のニュースを見て心配になったからメールしてみた」とメッセージが届き、それで初めて地震があったことを知った。それを皮切りにメールが何通か届き、心やさしい友人の存在にホロッとしている。

 ニュースを調べたら台湾新幹線が脱線したというのでビビった。しかし、新幹線関連では負傷者は出ていない様子。全体的な被害状況も、今のところ負傷者だけで死者は出ていないので一安心した。しかし、南部高雄県で今後2週間から1カ月ほどのうちにM5−6の余震が発生する可能性(Record Chinaの記事)があるというのは不安だ。高雄で一泊する予定を変えるつもりはないけれど、旅先で災害に遭ったら言葉も通じない、避難先も分からないで大変だろうな。どうするか現地に行ってみてから決めよう。

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