映画「おくりびと」がアカデミー外国語映画賞に輝いたニュースは素直に喜んだ。日本のものが世界で評価されるのは嬉しいから。
「おくりびと」としての自分は、最近になってようやく父の納骨をすませた。電車に座って骨壺を膝に載せているとき、ふと思い出した。幼かった時の私は父の胡坐にスポッと納まる定位置があったことを。いつのまにか父の胡坐には入らなくなり(それとも物理的に入れなくなった?)、そんなところが自分のお気に入りの場所だったこともず〜っと忘れていた。立場が逆転したせいか何十年かぶりに記憶が蘇り、自分でもビックリした。
骨壺をお墓に納める際はもっと悲しいのかと思っていた。私が同じお墓に入ることは多分ないので、これが永遠のお別れになるから。でも、祖父母や若くして亡くなった叔父の骨壺を見たら『何十年かぶりで家族水入らずで一緒に過ごせるんだ〜。よかったね』という気持になり、悲しさは感じなかった。人間の世界って結構うまく回っているんだな。
そんな風に感じていたこともあり、「おくりびと」のオスカー受賞はひときわ嬉しかった。