(フレンチパスから仰ぎ見るダウラギリ=ネパール)
父が昨晩死去した。入院期間はわずか4日。本人が『なんで入院なんてする必要があるんだ。大げさな!』とプンプン憤慨しているうちに意識がなくなるような素早さだった。苦しんだ時間は短かった(と思いたい)。間質性肺炎の急性憎悪だった。
はっきりと聞き取れた最後の言葉は「大丈夫」。その時は『つらいだろうに文句ひとつ言わず気丈だな』と思ったのだが、こうして文字にしてみると「大丈夫」と言いながら死んでいったというのはものすごく間抜けにも思え、さすが私の父親と泣き笑いしている。
いまだにどうも実感がない。このブログで11月15日に「私にとっても介護の問題はすぐそこまで来ている」と書いたばかり。まるで私の覚悟をあざ笑うかのようだ。土曜日に父に会った人たちも「えっ、信じられない。だって明日にでもヒマラヤに行きそうな勢いだったのに…」と絶句していた。
何よりも山を愛し、山に生きた人だった。山好きの人を見つけては、自分の撮った山の写真をプレゼントしていた。私は『素人写真をそんな大きなパネルにしたら、もらった人も迷惑なんじゃ…』と密かに心配していた。
実際、3年前もお世話になった病院関係者にも父の写真を持っている人が複数いる。「いや〜、お父さんに山の写真をいただいて…」と苦笑混じりに話してくれた人もいた。どうもすみません。
遺影に使う写真を探しに実家まで行ったついでに山の写真を何枚か持ち帰った。もう父の写真を押し付けられる人もいないので、今日は私が父に代わって写真をプレゼント。ネット上なら迷惑にもならないだろう。