どうしようもなく情けない気持ちだ。落書きをした本人たちに対してはもちろん、マジックを売っている人間、落書きした人の身元を特定して所属先に連絡した人たち、解任した学校、こぞってそれを伝えるメディアに対しても情けなさを覚える。
偉そうな人がテレビで「世界遺産に落書きをするなんて非常識」だと話していた。世界遺産とかそんなの関係なく公共のモノ、他人のモノに落書きするなんていうのが非常識なのであって、ドォーモの落書きだけがこんなに騒がれるのが理解できない。ここ数日の取り上げ方は、個人情報を特定できる落書きをした人だけが悪いことをしたかのようだ。
現地に「これで名前を書くといいことがあるよ」とマジックを売っている人が本当にいるのだったら、それを取り締まってもらうのが先決問題ではないだろうか(イタリア側にやる気があるかどうかは別問題だが)。臭い匂いは元から絶たなきゃダメ。落書き学生が現地で落書き消去作業を手伝うなんていう“香水”を振り掛けてごまかしてもあんまり意味はない。マスコミ向けのパフォーマンスで終わりそうだ。
きょうの早朝上越新幹線「たにがわ」に落書きが見つかって運休したっていうニュース(中日新聞)を見て、落書きだらけだったイタリアの列車を思い出した。落書きのないキレイな列車の写真を撮ろうと思って待っても、汚いのしか来なかったっけ。フィレンツェの落書き事件と新幹線の落書き運休の話を聞いたらイタリアの人たちはどう思うのだろう。ちょっと聞いてみたい。