パキスタンのベナジル・ブット元首相が暗殺されたというニュースを聞いて私のことを思い出した人が少なくとも数人はいると思う。というのも、生まれてこのかた「似ている」と言われた有名人で一番多いのがブット女史なのだ。だから、こんなことを書くと私が誰だか分かってしまう人がいるかもしれない。
自分では全然似ていないと思っているのだが、国内だけじゃなくてインドネシア旅行中に現地の人に指摘されたこともあり、彼女にはなんとなく関心がある。自伝のペーパーバック「Daughter of the East」(東洋の娘)を買って読み、依然として手元に残っている。まぁ壮絶な人生だったな。
彼女がパキスタンに戻ってきたときから、たとえ選挙で勝ったとしてもいつかはテロのターゲットになるとは思っていた。確か元首相だった父親もジアウル・ハクにクーデタを起こされた末に死刑になったと記憶している。かの国で政治に関わるのはまさに命がけだ。日本ではナントカ還元水の人が自殺したけれど、ちょっと次元が違いすぎる。
2000年にパキスタンを旅した時はムシャラフのクーデタが起こったあと。都市部の知識人なんかはさぞかし軍政に反発しているのだろうと思ったら、むしろ逆。すでに国外追放されていたブット女史の評判もすこぶる悪くてガッカリした(私が旅したのは北部なので、彼女の出身地の南部だったら別だったかもしれない)。
何人もの人と英語で話したところ、それまでの(シャリフだったかな? ちょっとうろ覚え)政権があまりにも腐敗していたから「軍事クーデタでムシャラフが出てきてもしょうがない」と軍事政権を必要悪と受け止めている人がほとんど。
「軍事政権がよくないのは分かっているが、汚職まみれの民主主義も同じぐらい悪い。だからこの国では軍政と民政が交互になっている。あと数年したらムシャラフには嫌気がさして『パキスタンに民主主義を!』と叫んでいるかもしれない」と言っていたオッサン、今ごろは「パキスタンに民主主義を!」を叫んでいるのだろうか?
ブット女史のご冥福を心よりお祈りする。