
戦時中に日本語を習ったおばあちゃんは、ちょっと怪しいながらも日本語ペラペラ。私が台北を「タイペイ」と言うのに対し、おばあちゃんは「タイホク」、北投は私が「ペイトウ」、おばあちゃんは「ホクトウ」だ。
「これじゃどっちが日本人か分かりませんね」と笑ったら、おばあちゃんは「私の心は日本人なんだよ」と真面目な顔で言う。話を聞くと、こういうわけだった。
おばあちゃんは貧しい家庭に生まれたから学校に行くのは諦めていた。日本人が来て近くに学校を作ったので、2年間だけながら初めて学校に通うことができたのだ。
そんな昔の話をすごく嬉しそうにするおばあちゃん、「私のおかあさん、日本の兵隊さんが来るとご飯をたくさん、たくさん食べさせたんだよ」とご飯を山盛りに盛り付ける仕草をした。「台湾の兵隊さんにはちょっとだけ」とククッと笑うと子供みたいだ。
今では日本語を使うこともないというおばあちゃんに「よく今でもこんなにペラペラ話せますね」と言ったら「当たり前だよ。感謝の気持ちを忘れていないから」と言われた。予想外の発言だった。
すごく嬉しいようなちょっと悲しいような切ないような複雑な気持ちだった。こんなことを言ってくれるのは世界広しといえども台湾の人だけだろう。どうしていいか分からずもじもじしちゃった。
別れ際「話ができて本当によかったです」と言ったら「また台湾に来て温泉に入りに来なさいね」と言ってくれ、お互いに何回も「ありがとう」と言って別れた。
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