2006年06月22日

「決定力不足」

 前回のエントリーで、山口光市で起きた母子殺害事件の犯人に最高裁が自判で死刑判決を下さなかったことを「決定力不足」と揶揄した。これまでこの事件について少なくとも1回は書いた記憶があるものの、「犯人に死刑を!」と書いたことはない。このブログの存在を知っている数少ない友人の1人からそのヘンのところを突っ込まれたので考えてみた。

 やはり私は「何がなんでも犯人を死刑にしろ!」とは断言できない。できれば犯人にはシャバに出てきて欲しくないというのはある。日本には終身刑がないから死刑もしょうがないのかなぁと思う。いわば「消去法的賛成」ってやつだ。

 なんでこんなに消極的かっていうと、犯人が友人(テレビではマブダチと表現していた)に送った手紙が週刊新潮に出て、世論と裁判に少なからぬ影響を与えたせいだ。要するにこの犯人は自分の友人に売り飛ばされたってわけだ。

 極悪非道な殺人犯なら私信をあのように転載してもいいのだろうか。是非の線引きはどこにあるのだろう。私にはそれが分からないからモヤモヤしている。

 下世話な私はついつい『情報提供者には新潮社からかなりの金額の情報提供料が転がり込んでいるんだろうな』などと考えてしまう。自分は安全な場所にいて、仲間を売り飛ばすっていう行為がどうも引っかかってしまうのだ。このマブダチは自分のしたことに満足しているのだろうか。ちょっと聞いてみたい。

 「犯人を死刑にしろ!」と言い(書き)切れない私こそ、「決定力不足」かつ優柔不断な女だ。
posted by らくだ at 18:55 | Comment(7) | TrackBack(0) | 国内ニュース | 更新情報をチェックする