私にとって「大統領の陰謀」は2人の若きジャーナリストが些細な事件をきっかけに手がかりを広げ、ニクソン政権の不正を次々に暴いていって最後には大統領を辞任に追い込むといった、手に汗握るノンフィクションだった。この新作を読むと、視点を180度変えて改めてウォーターゲート事件を考えたい気分になった。
つまり「FBIの生え抜きながらトップに上り詰められなかったナンバー2(マーク・フェルト)が、政権への復讐のために若い記者を利用、スクープを書きたかった記者との利害が一致した」ってこと。あたしも年をとって素直に物事をみられなくなっているのかなぁ。
優秀な記者は賢くウソをつく嫌なヤツなんだろうか。少なくともウッドワードはそうみたいだ。ワシントン・ポストのコラムニストだったリチャード・コーエンがディープ・スロートはフェルトだってことに感づいて記事を書こうとしたとき、ウッドワードはコーエンに対し、フェルトはディープ・スロートではない、君は間違っていると、平気でウソをついた。
自分は次々にスクープ記事を書いているのに、他人のスクープはウソをついてボツに追い込む。ウッドワードの正義感なんて大したことなさそうだ。「何も言えない」とか「否定も肯定もできない」で押し通せなかったんだろうか。おまけに、もしコーエンが記事を書いたら自分も大陪審に召喚される可能性があり、証言を拒否したら拘留されるかもしれない、と心配している。
ディープ・スロートのフェルト自身はかなり認知症が進んでいるってことも、読後感の悪さにつながった。この夏にディープ・スロートの正体が明らかにされたときは、フェルト本人が暴露に同意したような話になっていたけど、本を読む限りではフェルトはすべてを理解しているとはとてても思えない。本人がボケちゃった段階で周りがお膳立てしたってわけ。本人が自覚した上で名乗り出るのでなかったら、墓場まで秘密を持って行ってもらいたかった。