2005年06月22日

犯罪と卒業文集

 都内の高校生が両親を殺害し、タイマーでガス爆発するようにセットして温泉で豪遊?していたというニュース、半分は「また子どもの残虐犯罪か」という気持ち、もう半分は「それにしても惨すぎる」という気持ちで聞いた。

 自分が15歳のころ、親への対抗策ときたら「口をきかない」とか「部屋に閉じこもる」ぐらい。ほかに思いつく手段なんてなかった。この高校生、タイマーでガス爆発させるような知恵がありながら、両親を殺したらどうなるのかまで考えなかったんだろうか。そのあたりが理解を超えている。

 草津の温泉旅館に1人で行って泊まったというのも15歳とは思えない、中年のような行動だ。そんなところに自分1人で泊まれば目だってすぐに足がつくとは思わなかったのかな。目立たないためにはユースホステルか何かに泊まるはずだし、捕まるのを待っていたのか。

 こういう時に必ず出てくるのが『卒業文集』だ。きょうはこの高校生が小学校の卒業文集に「引っ越しが嫌い」と書いていたと紹介され、それが犯行を招いたというような論調でコメンテーター・キャスター連中が頷いていた。私はなぜか、こういうときに卒業文集と犯罪とのこじつけを聞くと、「ちょっと待ってよ!」という気分になる。テレビの人たちは過去の文集に必ず犯罪の予兆を見つけるのだが、そんなに単純なものだろうか。

 もし卒業文集で将来の犯罪が占えるのだったら、少しは対策がありそうなもんだけど。少なくとも私は卒業文集なんてテキトーに書いていた。しかも高校生にもなって小学校時代の文集を穿り出されるのだから、そんなもので深層心理を云々されてもズレまくりだ。私がこの高校生の同窓生で同じ卒業文集に作文を寄せていたりしたら、「大人がそろってしたり顔して何言ってんだよ!」と怒りを爆発させるかもしれない。

【追記】卒業文集が小学校時代のものであったことを最後の2つの段落に書き加えました。(6月23日)

posted by らくだ at 23:02 | 東京 ☁ | Comment(14) | TrackBack(0) | 国内ニュース | 更新情報をチェックする