覚えているのはタンテーという町だったということと、お医者さんの家がバス(というか乗り合いトラック)乗り場の近くだったということだけ。だから、現地に行って目指すお医者さんを探し出すのには苦労した。そして、ようやく探し当てたと思ったらお医者さん自身は96年に亡くなっていた。でも、助手をしていた奥さんが私のことを覚えていてくれ、涙の再会を果たせた。そりゃまぁびっくりしてた。20年以上もなんの音沙汰もなく、急に訪ねたんだから。でも、すご〜く喜んでくれた。それ以上に、世話になったことを私がずっと忘れないでいたことに驚いていたようだった。
おみやげとしてソニーのラジオ(ビックカメラで買った安いやつ)と来年の浮世絵カレンダーを持参していたんだけど、お医者さんの家には我が家にもないDVDプレーヤーがあり、恥ずかしくなっちゃってカレンダーだけ渡してきた。トホホ…。もっとまともなお土産買って行けばよかったなぁ。しょうがないから家族の写真をたくさん撮り、日本から送る約束をして今回はちゃんと住所も聞いてきた。
話は終わらない。それからビルマ国内を旅してラングーンに戻り、いよいよ明日は帰国という夕方、夫とラングーン川をフェリーで往復して夕日を見物することにした。帰りのフェリーに乗る船着場で写真を撮っていたら、若い男性が妙に改まった丁寧な英語で「ちょっとお話してもよろしいでしょうか?」と声をかけてきた。日本語でも習い始めた人かなぁ、物売りか何かだとウザイなぁと思いながら、いぶかしげに「何でしょう?」と聞き返したら、「あなたは数日前、タンテーに医者を探しに行きませんでしたか?」と言う。ひっくり返るほど驚いて口をパクパクしちゃった。
おめでたい私は『あたしってなんでそんなに有名人なの?』とか真剣に思ったね。よく話を聞いてみたら、この人は亡くなったお医者さんの4人の子供のうちの1人(誰もあとを継いでいない)。私が先日会ったお医者さんの姪御さんと一緒にラングーンからタンテーに戻るところで、その姪御さんが私を見かけて「あれ、あの人はこの前訪ねて来た日本人だよ!」と教えたので、帰りのフェリーに乗り込もうとしている私を人ごみを掻き分けて追いかけてきたという。人口500万人とも600万人ともいわれるラングーンで、こんな偶然なめぐり合いもあるんだね。これも何かの縁だと感動した。
彼によると私のことは一族の間で大ニュースとなっているとか。またお医者さんがなくなってから奥さんは元気をなくしてふさぎ込んでいたけど、私が訪ねていったことを本当に喜んでいたと感謝された。行ってよかったなぁ。